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清水寺
寺の創建は寺伝によると大同元年(806)といわれ、千手観音菩薩立像を本尊とする真言宗の寺院で、山口盆地最古の寺院といわれています。はじめ天台宗でしたが、室町時代に真言宗に改宗したと言われます。観音堂は明応2年(1493)大内政弘が建てたものといわれ、残っ…
- 山口・防府エリア

万倉護国神社
国司信濃公を祀る神社
宇部市の万倉小学校に程近い山の上にあり、禁門の変の責任を取って自刃した国司信濃公が祀られており、禁門の変で命を落とした万倉の兵士の墓標が立っています。万倉の招魂場は、慶応3年に当時の国司家当主国司健之助純行によって昔の国司氏の練兵場であったところに…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

岩畠古墳
【全体概要】横穴式石室で、南に入口を開いている。南と東が道路と接しており、墳丘が削られている。 石室の全長は10.1mで山口県内でも有数の大きさである。玄室は奥行4.5m、幅2.5m、高さ2.9m。石室の石材は花崗岩で、極めて大きい石が使用されてい…
- 山口・防府エリア

了円寺

寺島忠三郎関連史跡
寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。
- 岩国・柳井・周南エリア

下松護国神社
下松護国神社は、1866年に馬関戦争、禁門の変における都濃宰判出身の戦死者四柱を奉斎し、設立当初は、「山添招魂社」と号されていました。その後、戊辰戦争等の戦死者九柱を合祀(維新十三人墓)し、日清日露の戦役を含め、太平洋戦争終結までの国難に殉じた、下松市…
- 岩国・柳井・周南エリア

徳山毛利家墓所
初代徳山藩主毛利就隆から12代元靖までの歴代当主とその妻子の墓96基が祀られています。近世大名の葬制を知るうえで非常に貴重であり、城下町徳山の歴史を語るうえで重要な史跡です。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

湯の原ダム
平成3年3月に完成した湯の原ダムは、貯水量293万tで下関市の水源となっています。周辺もダム公園として整備され、散策やピクニックに最適です。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

仲哀天皇殯葬所

萩藩新地会所跡

特別公開・白石家住宅・蔵見学と、和の伝統“ふろしき包み体験”…
1765年(明和2年)創業の老舗呉服店<白石呉服店>国登録有形文化財の邸宅や蔵を特別公開、和の伝統である<ふろしき包み体験>ができます。「包む」という文字は、お母さんが赤ちゃんをお腹に宿した姿、大切なものを守る、慈しむ姿です。ふろしきで包むのも同じ意味…
- 山口・防府エリア

時を超えてよみがえる歴史絵巻 将軍体験ツアー!
室町時代、栄華を誇っていた西国一の大名様を体験!
町時代に山口の基礎を築いた大内氏。京都文化と大陸文化の受容と融合による、国際性ゆたかな独自の文化が特徴の「大内文化」が開花し、「西の京」といわれた地域の魅力や文化を体験できる特別なツアーです。オリジナルの衣装に身を包み白馬に乗った将軍役として、大内…
- 山口・防府エリア

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

陶芸の村公園
高台にある絶景のビュースポット公園
東光寺や吉田松陰誕生地そばの高台にある絶景公園。展望台からは市街地や指月山、日本海に浮かぶ島々などの景色が一望できます。春には桜、秋には十月桜やハギ、初冬には寒椿が見頃を迎え、四季折々の花木が楽しめます。特に10月の「日本一長いハギの花のトンネル」は…
- 萩・長門エリア

向山文庫跡
清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。
- 岩国・柳井・周南エリア

霧峰神社

彦根戦死士之墓

飢民の供養塔(大恩寺)
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
- 岩国・柳井・周南エリア

立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…
- 岩国・柳井・周南エリア

室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
- 岩国・柳井・周南エリア
