検索結果

805件ありました
並び順
アクセス数順
更新順
現在地から近い順
表示切り替え
タイル
リスト
マップ

水の防府を感じる伝統的酒造り見学 ~防府天満宮・御神酒の原…

防府唯一の酒蔵・竹内酒造場(1901年創業)で、防府天満宮の御神酒でもある伝統的な酒造りの説明、酒蔵見学、試飲(伏流水含む)の後、限定品を含む商品購入可能。蔵限定商品多数ご用意します。超軟水の防府の水と山口県発祥の幻の酒米・穀良都を製造された美味をご堪…

  • 山口・防府エリア
detail_19375.html
水の防府を感じる伝統的酒造り見学 ~防府天満宮・御神酒の原…

着物で日本刀鑑賞体験in芳松庵で抹茶体験

重要文化財の日本刀も残る「歴史のまち・防府」で、刀匠・湯川夜叉制作の日本刀の鑑賞特別体験。オリエンタル和装などの着物を羽織り、大江宏設計の茶室芳松庵で、日本刀×着物×抹茶を一度に体験できる豪華コラボ。セールスポイント・日本刀×着物&ti…

  • 山口・防府エリア
detail_19366.html
着物で日本刀鑑賞体験in芳松庵で抹茶体験

若山公園

春にはサクラとツツジが公園をピンク色に染める

昭和9年、小野田セメントの創設者である笠井順八翁の私庭を整備したのが始まりです。園内には笠井順八翁像をはじめ、野外ステージなどの施設があります。桜300本、つつじ200本が植栽されてあり、桜の花が公園をピンクに染める春、ドラマチックな夜桜が訪れる花見客を…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_15515.html
若山公園

大田・絵堂戦跡記念碑

慶応元年(1865)1月、美東町の大田・絵堂を主戦地として、保守派の藩政府軍と、諸隊との戦いが始まりました。下関の功山寺で決起した高杉晋作に呼応した諸隊と、鎮圧しようとした藩政府軍とが対峙し、10日間の交戦で諸隊が勝利しました。現在、呑水、絵堂、川上の戦…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_14579.html
大田・絵堂戦跡記念碑

十朋亭維新館

明治維新への扉を開いた「維新策源の地 山口」の歴史にふれる…

十朋亭は、代々醤油製造を業とする萬代家の離れとして建てられました。幕末期に長州藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、藩の役人たちの宿舎として利用されました。当主・萬代利兵衛が志士達の活動を援護していたことから、多くの来客があったと伝えられ、桂…

  • 山口・防府エリア
detail_18054.html
十朋亭維新館

遍照寺

遍照寺は浄土真宗のお寺で、みすゞ通りに面して建っています。 山門をくぐり、境内にはいると「こころ」の詩碑があり、入口左手にみすゞや金子家の人々の墓があります。毎年3月10日のみすゞの命日には、たくさんの人が集まります。

  • 萩・長門エリア
detail_17044.html
遍照寺

何遠亭

幕末、尊皇攘夷派の三条実美ら七人の公卿が幕府に退京を命じられました。毛利敬親がこれらを迎えるために、井上家(現・井上公園)を増設した建物を再現して建てられました。無料の休憩スペースとして開放されています。

  • 山口・防府エリア
detail_17115.html
何遠亭

三田尻御舟倉跡

毛利水軍の根拠地で往時をしのぶ

三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。また、下関の功山…

  • 山口・防府エリア
detail_14789.html
三田尻御舟倉跡

旧久保田家住宅

御成道に面して建つ幕末から明治時代前期にかけて建築された町…

久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられています。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していました。また明治時代、しばしば名士…

  • 萩・長門エリア
detail_14419.html
旧久保田家住宅

周防国衙跡

周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。奈良時代から平安時代の役所が周辺一帯に広がっていたことが発掘調査でわかっています。政庁があったと推定されている場所は現在公園として整備されています。ここには明治の初めまで国庁寺という…

  • 山口・防府エリア
detail_14791.html
周防国衙跡

長州藩上屋敷跡

長州藩上屋敷は、慶長8年(1603)9月に、藩主毛利秀就が徳川家康より拝領したことに始まります。江戸城桜田門外にあり、表門は西の丸下を囲む内堀ぞいの道に面しており、17,170坪あまりの敷地であったと記録されています。周囲には仙台藩伊達家、米沢藩上杉家…

detail_17349.html
長州藩上屋敷跡

長州藩下屋敷跡

【施設概要】江戸時代初め、長州藩では江戸における屋敷が手狭になったため、幕府に願い出て寛永13年に麻布龍土町に新しい屋敷を拝領しました。 当初は27,000坪余りだった敷地は、後年には周辺の空き地も買い足して36,080坪にもなり、付近の山や谷まで…

detail_17364.html
長州藩下屋敷跡

山田家本屋

【全体概要】慶長の頃小早川隆景に仕え、後に湯野の領主竪田元慶の家臣となった山田氏の住宅で、古式を伝える在郷武家のものです。現在は湯野地区に移築されていますが、もとは旧山陽道に面し、村田清風や幕末の志士が訪れています。桁行15.76m、梁間7.85m、建坪 26…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_12982.html
山田家本屋

香月泰男美術館企画展「香月泰男のデッサン・素描展」

鉛筆だけでなく水彩やクレヨン、墨を使って描かれたデッサン・…

「草案として描かれたデッサン」から「色彩も使い作品として描かれたもの」まで幅広くデッサン・素描作品を紹介する企画展。一部作品では、草案のデッサンとその油絵作品を比較しながら見ることもできる展示となっています。今回が初公開となる作品も多数ありますので…

  • 萩・長門エリア
detail_19318.html
香月泰男美術館企画展「香月泰男のデッサン・素描展」

日本ハワイ移民資料館

日本ハワイ移民資料館は周防大島からハワイへの移民の歴史を後世に伝えていくことを目的に、当時のハワイでの移民生活や移民の歴史を紹介する施設。ハワイ関連のグッズも販売されているほか、施設入口にはハワイの守り神TIKI像も設置されている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_13232.html
日本ハワイ移民資料館

引接寺

永禄3年(1560)に創建された古刹。朝鮮通信使や、日清講和会議の際の李鴻章ら要人の宿泊施設としても使用されました。本堂は下関空襲で焼失し、左甚五郎作とも言われる龍の彫刻がある山門のみが残されています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_15929.html
引接寺

国分寺

もともと長府の国分寺跡にあったものを、明治23年(1890)に廃寺となっていた大隆寺後の現在地へ移転したものです。昭和20年の空襲で、本堂などの建物は焼失したが、寺宝である「絹本着色十二天曼荼羅図(けんぽん ちゃくしょく じゅうにてんまんだらず)」と「木造不…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_15283.html
国分寺

黒川写真館跡

金子みすゞが、20歳の記念写真を撮ったのが、この地にあった黒川写真館(今の村田写真館)といわれています。このころから、ペンネーム「みすゞ」で詩を書き、雑誌『童話』、『婦人倶楽部』、『金の星』などに投稿を始めました。その後、西條八十に認められ、「若き童…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_17046.html
黒川写真館跡

源久寺

建久8年(1197)鎌倉幕府から仁保など6ヵ庄の地頭職に任じられた平子重経が、周防に下向し、仁保の地に居館を築き、政務を執っていました。重経は正治元年(1199)将軍源頼朝の死によって、その菩提を弔うためにこの寺を建立したものです。寺号は源家の永久安泰繁栄…

  • 山口・防府エリア
detail_12414.html
源久寺

乗福寺

乗福寺は臨済宗の古寺で、大内氏22代重弘が開いたお寺です。元応2年(1320)3月6日重弘が死亡したため、本寺に葬り菩提寺となりました。寺運の盛んな時は、塔頭36字、末寺88箇所あったといわれますが、大内氏滅亡とともに衰廃しました。今の寺は塔頭の正寿院を転じ…

  • 山口・防府エリア
detail_12411.html
乗福寺