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旧福原家萩屋敷門

吉見正頼息女の墓
【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。
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石彫公園
【全体概要】萩城跡の西側に位置する石彫公園には、過去・現在・未来を表現するモニュメントや、遊具、ベンチなどがあります。造形の妙を得た多くの遊具、モニュメント、その他石の彫刻は、昭和56年に開催された国際彫刻シンポジウムに参加した日本をはじめアメリカ、…
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松陰神社宝物殿「至誠館」

木間菖蒲園
休耕田に広がる色とりどりのハナショウブ
木間地域活性化センター裏にある約10アールの休耕田で、紫やピンク、白など約20種約600株のハナショウブが6月中旬~6月下旬頃に見事に咲き誇ります。木間の美しい田園風景と美しいハナショウブをゆっくりと楽しめる空間です。
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入江九一・野村靖誕生地
入江九一・・・萩藩士。称は杉蔵など。明治政府の政治家となる野村靖(和作)は実弟。松下村塾で学び、吉田松陰に深く傾倒した。文久3年(1863)2月、京都に上ったが、3月、攘夷派公卿中山忠光の脱走に従い帰国した。同年6月には高杉晋作を補佐して、奇兵隊を結成する…
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萩キリシタン殉教者記念公園
【全体概要】萩城の石垣築造に際して、五郎太石(石垣の間に詰める石)が盗まれるいう紛争が益田元祥と熊谷元直、天野元信の間で始まり、石垣築造工事が2ヶ月以上も遅延し、毛利輝元は非は熊谷、天野両氏にありとして、一族11人を討ち滅ぼしました。これを五郎太石事…
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山田顕義誕生地(顕義園)
【全体概要】山田顕義は、1844年(弘化元年)に萩藩士山田七兵衛の長男として生まれ、14歳の時に松下村塾に入門した。吉田松陰にとっては最年少の門下生だったらしい。戊辰戦争で大きな功績を残し、明治に入ってからは佐賀の乱、西南戦争の鎮静に尽力。その後、日本の…
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神楽
【全体概要】毎年9月下旬、高佐八幡宮で行われます。明治37年8月1日、村の若者達が石州畑ケ迫村高野より習い秋祭り寄進をしたのが起こりといわれています。昭和5年9月、島根県周布村字日脚より、現在の八調子による神楽を習い受けたが、戦後途絶えていたものを地元青…
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萩市鈴野川/ほたる
大自然の中で飛び交うほたるが美しい!
須佐・鈴野川周辺では、6月上旬~中旬にかけて美しいホタルが飛び交う様子が大自然の中で観賞できます。例年6月初旬には、鈴野川ほたるまつりが行われます。詳しくはこちら。※ホタル観賞の際の注意事項※ホタルは繊細な生き物です。音などにも反応してしまうおそれがあ…
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桂太郎旧宅
内閣総理大臣を3度つとめた、拓殖大学の創立者である桂太郎の…
現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に新築されたもので、主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られています。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園には桂太郎公銅像が建っています。また…
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春日神社
重要伝統建造物群保存地区である堀内地区の一角にある春日神社は、奈良市の春日大社が本社で、県北部有数の古社です。神社前の道には桜並木があり、3月下旬~4月上旬ごろにはお花見が楽しめます。
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かんきつ公園
萩城下町のシンボル!白壁や武家屋敷の土塀からのぞく夏みかん
平安古伝建地区の一角に位置するかんきつ公園には、萩の代名詞とも言える夏みかん約100本をはじめとする柑橘類10種約380本が植えられ、目近に見ることができます。夏みかんは、毎年5月上旬〜中旬頃にかけて白く可憐な花を咲かせ、その頃には公園全体にふわっと甘いよ…
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旧山中家住宅
昭和初期建ての典型的な浜崎の町家
旧山中家住宅は、昭和初期建ての典型的な浜崎の町家。浜崎伝建地区の中心部に位置し、浜崎本町筋から裏のとおりまで抜ける細長い敷地に、表から主屋、付属屋、土蔵が建ち並んでいます。これらはいずれも浜崎伝建地区の伝統的建造物(文化財)として特定されています。…
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伊勢屋横町
呉服商 伊勢屋のあった絹機屋町などとも呼ばれた横町
碁盤目状に区画された萩城下町には、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から南へ入る3つの横町…
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口羽家住宅

松浦松洞誕生地
【全体概要】松浦松洞(亀太郎)は、幼い頃から絵が得意で、京都の小田海僊に画法を学んだ。安政3年(1856)、20歳で松下村塾に入塾し、松陰が江戸に送られる直前に肖像画を描きました。文久2年(1862)、久坂玄瑞らとともに上京。公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺…
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玉木文之進旧宅
【全体概要】松陰の叔父で、松下村塾を創めました。松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。【その他】●周辺観光施設●松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など
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旧小林家住宅(萩往還おもてなし茶屋)
旧小林家住宅は、江戸時代「目代所」があった場所に明治40年に隣地から移築された主屋と、大正期に建てられた土蔵、昭和10年代に増築された離れからなります。かつては旅館を営んでいたことから、主屋の一階の主座敷に加え、二階には萩往還を望む表座敷、佐々並川や周…
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井上勝旧宅跡
萩藩士井上勝行の三男として萩城下土原に生まれる。幕末の一時期、野村弥吉と称した。安政2年(1855)、開明派として知られた父に従い、江戸・浦賀に赴く。同5年、藩命により長崎でオランダ士官より兵学を学ぶ。文久3年(1863)には井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)…
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