検索結果

115件ありました
並び順
アクセス数順
更新順
現在地から近い順
表示切り替え
タイル
リスト
マップ

独立一勺の水

この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_11242.html
独立一勺の水

呼坂宿駅本陣跡

関戸(岩国)、玖珂、椙杜、今市に次ぐ近世山陽道の宿駅です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_12800.html
呼坂宿駅本陣跡

江泊瓦窯跡

【全体概要】この窯跡は,防府市東方にある江泊山の丘陵北斜面で発見された平安時代の瓦窯です。周防国府や国分寺に供給していたと考えられています。

  • 山口・防府エリア
detail_14786.html
江泊瓦窯跡

普門寺塾跡

大村益次郎は普門寺の観音堂で学生たちに兵学をおしえていました。当時、この塾は普門寺塾と呼ばれていました。

  • 山口・防府エリア
detail_17106.html
普門寺塾跡

菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
detail_14026.html
菊ケ浜土塁(女台場)

萩焼古窯跡群

【全体概要】江戸時代初期、萩藩主である毛利家は、文禄・慶長の役(1592~98)で連れ帰った朝鮮人陶工に命じて松本村中の倉(現萩市椿東)に御用窯を開きました。御用窯はそののち大津郡深川村三ノ瀬(そうのせ・現長門市湯本)にも分かれたため、それぞれの窯品を「松…

  • 萩・長門エリア
detail_14473.html
萩焼古窯跡群

皇典講究所跡

【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…

detail_17357.html
皇典講究所跡

福川本陣跡

【全体概要】福川本陣は、初めは藩主の領内巡視や参勤交代などの休憩所であったが、享保6年(1721)幕府の参勤交代における随行員制限令が発せられ、山陽道においても海路から陸路による通行が激増し、幕府の要人や西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_12819.html
福川本陣跡

上長瀬一里塚

【全体概要】山口から萩に向かう、防長の国境をこえた最初の一里塚。凝灰岩を積み上げて径5mの塚をつくっています。

  • 萩・長門エリア
detail_13817.html
上長瀬一里塚

やげん谷一里塚

【全体概要】江戸時代、街道沿いに造られた一里塚の一つ。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_12924.html
やげん谷一里塚

難攻不落の七尾城跡めぐり

中世益田の栄華を築いた益田氏の要塞をたどる

日本遺産ガイドと一緒に城下町を散策した後、難攻不落の七尾城跡を散策します。中世の益田氏の歴史を探訪するほか、七尾城の防衛についても実際に監事ながら、大自然の山城歩きを楽しめます。

  • 萩・長門エリア
detail_19210.html
難攻不落の七尾城跡めぐり

飢民の供養塔(大恩寺)

享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_16615.html
飢民の供養塔(大恩寺)

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_17338.html
富永有隣の碑

旧新橋停車場

【施設概要】イギリスで鉱山と鉄道の技術を研究して帰国した井上勝は、日本にも鉄道敷設の必要性を強く感じ、その実現を夢見ました。 その夢の第一歩として、汐留の一角に鉄道建設のための最初の杭が打ち込まれ、1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本最初の鉄道が…

detail_17373.html
旧新橋停車場

蕃書調所跡

【施設概要】アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新…

detail_17358.html
蕃書調所跡
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  1. 2
  2. 3
  3. 4
  4. 5
  5. 6
ページトップへ