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瓦屋跡

吉田松陰幽囚ノ旧宅
幕末の産業化に取り組み産業文化の形成といった地域社会においての人材育成の施設として、松下村塾とともに世界遺産に登録されている「吉田松陰幽囚ノ旧宅」(杉家旧宅)。【 2015年7月世界遺産登録『明治日本の産業革命遺産』 】松陰は、実家杉家の4畳半の一室で前…
- 萩・長門エリア

築山跡(大内氏遺跡)
八坂神社、築山神社の境内がその地で、大内氏別邸築山館の跡。築山館は80間四方を土塁で囲み、その外面は大石をたたみあげられていました。この土塁も天明3年頃(1783)西北の隅を残してくずされ、その土で庭園の池を埋めてしまったと伝えられています。
- 山口・防府エリア

長州藩上屋敷跡
長州藩上屋敷は、慶長8年(1603)9月に、藩主毛利秀就が徳川家康より拝領したことに始まります。江戸城桜田門外にあり、表門は西の丸下を囲む内堀ぞいの道に面しており、17,170坪あまりの敷地であったと記録されています。周囲には仙台藩伊達家、米沢藩上杉家…
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雲谷庵跡
天花の七尾山麓にあります。ここは中世の画聖雪舟のアトリエがあったところです。雪舟は大内氏の招きにより40歳頃に山口に来て、48歳の応仁元年(1467)に遣明船に乗り中国に渡りました。帰国後も雲谷庵に住み作画活動と弟子の養成につとめましたが、永正3年(1506)…
- 山口・防府エリア

高杉晋作療養の地
高杉晋作は小倉戦争で、長州軍を指揮して幕府軍と戦いましたが、この戦いで持病の結核が悪化し、桜山神社の近くに小さな家を建てて、野村望東尼(のむらもとに)、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。*写真の「高杉東行」の「東行」とは、晋作の号のことで…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

旧久保田家住宅
御成道に面して建つ幕末から明治時代前期にかけて建築された町…
久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられています。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していました。また明治時代、しばしば名士…
- 萩・長門エリア

福原邸跡

十朋亭維新館
明治維新への扉を開いた「維新策源の地 山口」の歴史にふれる…
十朋亭は、代々醤油製造を業とする萬代家の離れとして建てられました。幕末期に長州藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、藩の役人たちの宿舎として利用されました。当主・萬代利兵衛が志士達の活動を援護していたことから、多くの来客があったと伝えられ、桂…
- 山口・防府エリア

本陣伊藤邸跡
伊藤家は町内の大年寄で、奉行を務めた家柄でした。同家は参勤交代時、大名の宿となる本陣をつとめました。 幕末の当主は、シーボルトや坂本龍馬との親交が篤く、龍馬が京都で暗殺された時も妻のお龍(りょう)はここに滞在していました。現在は「本陣伊藤邸址」の碑…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

来嶋又兵衛像
【全体概要】現在の厚保小学校のプールの場所に来嶋又兵衛の家がありました。彼の妻は、厚保村(美祢市西厚保町本郷)の酒造家で永代大庄屋格来嶋清三郎の長女のタケです。結婚1年後には、妻の実家である来嶋清三郎宅横に家を新築して、ここに転居してきました。 元…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

玉木文之進旧宅
【全体概要】松陰の叔父で、松下村塾を創めました。松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。【その他】●周辺観光施設●松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など
- 萩・長門エリア

萩城下町
世界遺産の町並みを散策
分厚い白壁の重厚な武家屋敷、夏みかんが顔を出す土塀や鍵曲など、かつて城下町として栄えた町並みが色濃く残る萩城下町。高杉晋作や木戸孝允など幕末から明治維新に活躍した偉人の生家が現存し、その足跡をたどることもできる見どころ豊富な城下町
- 萩・長門エリア

松陰神社
令和7年に世界文化遺産登録10周年
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅が「明治日本の産業革命遺産」として、平成27年7月に世界文化遺産登録。
- 萩・長門エリア

上山文英堂本店跡
1923(大正12)年、20歳の金子みすゞが、山口県大津郡仙崎村(今の長門市仙崎)から移り住んだ地です。みすゞは、この地におよそ3年半住み、勤め先の商品館内の上山文英堂支店へ通いながら、たくさんの詩を創作しました。結婚ののち、1930(昭和5)年3月10日、26歳で亡く…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

黒川写真館跡
金子みすゞが、20歳の記念写真を撮ったのが、この地にあった黒川写真館(今の村田写真館)といわれています。このころから、ペンネーム「みすゞ」で詩を書き、雑誌『童話』、『婦人倶楽部』、『金の星』などに投稿を始めました。その後、西條八十に認められ、「若き童…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

木戸孝允別邸跡
【施設概要】木戸孝允は萩城下の出身です。幕末の頃は桂小五郎の名で知られ、尊攘、討幕運動に奔走しました。 維新後は明治政府の参議となり、版籍奉還、廃藩置県などを推進し、明治4年には岩倉欧米使節団に加わり外遊。明治10年5月26日、西南戦争のさ中に京都…
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西周旧居
哲学者西周の育った家。母屋の右側にある土蔵の小さな部屋で、寸暇を惜しんで勉強し、後に日本で初めてできた東京高等師範学校の初代校長に就任、更には福沢諭吉らとともに、西洋の学問、文化思想、特に西洋哲学を日本に最初に紹介した人で、明治文化の先駆者として活…
- 山口・防府エリア

田中義一別邸
明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに住み、大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われ、現在の建物となりました。邸内には肖像画をはじめ大将服などが義一ゆかりの物があり、一般公開されています。隣接して“かんきつ公園”…
- 萩・長門エリア

旧目加田家住宅
18世紀後半の中級武家屋敷として、国の重要文化財に指定されています。武家屋敷としては珍しく二階が作られており、表通り側には二階窓がなく、上位身分の武士も徹道を見下ろすことがないように配慮されているなどの特徴があります。
- 岩国・柳井・周南エリア








