山口県下関市の幕末スポットへ歴史旅!高杉晋作ゆかりの地を訪ね、歴史ロマンに浸る1日♪

奇兵隊を創設した、長州藩の高杉晋作といえば誰もが知る幕末のヒーロー!
生まれは萩ですが、実はその短い人生において、活躍の場の多くは現在の下関市でした。
動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとしー幕末の風雲児・高杉晋作を謳ったあまりにも有名なこの文章は、下関市にある高杉晋作の墓所『東行庵』に建てられた顕彰碑に刻まれたものです。
数あるスポットの中から、今回は高杉晋作決起の地である『功山寺』、そして愛した女性や地域の人たちに守り継がれてきた墓所『東行庵』へ、高杉晋作ゆかりの地を訪ねてきました。
サキエ
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山口県下関市の幕末スポットへ歴史旅!高杉晋作ゆかりの地を訪ね、歴史ロマンに浸る1日♪

【下関市長府】高杉晋作決起の地『功山寺』へ

最初にやってきたのは、下関市長府にある高杉晋作決起の地、『功山寺』

有名な「これよりは長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」という言葉を残して、勝ち目が全くないと思われた戦いに出陣した場所です!

国宝に指定されている仏殿が風格漂う境内には、凛とした空気が流れていました  


元治元年(1864)12月15日夜半、高杉晋作が約80人の同志たちとともに決起したこの時、この場所から幕末動乱の幕が切って落とされたと言われています。

こちらが境内にある「高杉晋作回天義挙像 」です!

今まさに決起しようとする躍動感が表されていて、かっこいいですね~  


高杉晋作がこの地で決起した戦いは、保守派が実権を握り始めていた長州藩を、再び攘夷・倒幕へ向けて藩論を統一させるためのクーデターでした。藩の主力軍に対したった80人で立ち向かった晋作たちに、その後どんどん加勢する諸隊が加わって奇跡ともいえる勝利を挙げたと伝わっています。日本の歴史を変えた瞬間が確かにここにあったのだと想像すると、なんだか背筋が伸びてしまう私でした  


【功山寺】

電話:083-245-0258

駐車場:無料

※境内見学自由

※書院見学の拝観料…大人300円 中・高生100円 小学生以下無料

    


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功山寺のさらなる見どころ(法堂・書院、七卿潜居の間など)のほか、幕末の歴史スポットからおしゃれカフェなど城下町長府の魅力を地元ライターがご紹介!

ぜひご覧ください♪

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下関市立歴史博物館で、さらに理解を深めよう!

 功山寺向かいの『下関市立博物館』では、海峡を中心に育まれてきた下関の歴史が紹介されています。

幕末期においては攘夷や倒幕の一大拠点となった下関。

高杉晋作の詩書や、坂本龍馬愛用の飯碗と湯呑、手紙などが多数展示されており、幕末の志士たちを身近に感じることができますよ  

下関市立歴史博物館で、さらに理解を深めよう!

【下関市吉田】高杉晋作の墓所『東行庵』へ

『功山寺』のある長府から約25分ほど車を走らせ、高杉晋作の墓所『東行庵(とうぎょうあん)』へやってきました。

『東行庵(とうぎょうあん)』の「東行」は、高杉晋作の号です。

高杉晋作の墓所のほか多くの志士たちも眠る場所で、「幕末志士の聖地」とも言われています。

こちらが『東行庵(とうぎょうあん)』


高杉晋作の遺言により、奇兵隊の本拠に近いこの地に遺骸が葬られ、明治17年に毛利家をはじめ伊藤博文・井上馨等の寄付で現在の庵が建てられたそうです。ご本尊は「白衣観音菩薩」。晋作の菩提を弔うため、愛妾"うの"が得度(僧侶となるための出家の儀式)を受けて"梅処"と称し、初代庵主となりました。


※通常は外観のみ見学可能で、年に一度程内観を公開しているそうです。スケジュールはお問合せください。

『下関市立東行記念館』 高杉晋作の貴重な遺品に出逢える

『東行庵』から少し歩いた場所に高杉晋作の銅像があり、その向かいに高杉晋作・明治維新関係の資料を展示する『下関市立東行記念館』が建っています。

1階の講堂では下関市内の史跡の紹介や、ここ下関市吉田地区にあった奇兵隊陣営のジオラマの展示、そして普段は非公開となっている『東行庵』の代わりにお参りすることができる仏殿があります。


また、受付近くの販売コーナーでは、貴重な書籍や幕末グッズなどがズラリ♪

高杉晋作さんが表紙になっている御朱印帳(1,800円)は、東行庵オリジナルだとか!

ここでしか買えない幕末グッズを発掘してみたくなります  

高杉晋作の特大写真や花押のレリーフを眺めながら2階へ上がると、『下関市立東行記念館』の展示室と収蔵庫があります。

高杉家から寄贈された貴重な遺品が大切に管理されています。

展示室では年に4回、常設企画展として収蔵品を入れ替えて展示がされています。

取材時は「歴代庵主の軌跡」というテーマで、高杉晋作の菩提を庵主として守り継いできた3人の女性の生涯や、関連資料の展示がされていました。


中でも目玉的な展示資料がこちら!

高杉晋作が実際に愛用していたという、萩ガラスの脚付グラスです!  (写真1・2枚目)

初代庵主となった愛妾"おうの"が、療養のために医者から断酒を言い渡された晋作を不憫に思い、医者の許可を得て葡萄酒を飲ませていたとのこと。

現存する当時の萩ガラスというだけでも貴重ですが、高杉晋作が実際に使っていたものを目の当たりにして、"本当に居たんだなぁ…"という実感が沸き、なんだか身震いしてしまいました!


写真4枚目は、高杉晋作が"おうの"に贈ったというイギリス製の鞄

"破れた箇所を補修した形跡が見られ、大切にしようされていたことがうかがえる。晋作はおうのの体調を気遣う書簡を宛て、様々な贈り物を渡すほど、彼女を大切に想っていた。"

激動の時代に出逢った2人の絆を感じるこれらの遺品を眺めていると、そこに2人の姿が浮かぶ様でした  


写真5枚目は、高杉晋作所用の三味線

歴史小説などで、高杉晋作といえば三味線というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか?

私は、つい興奮して「おおー!!」と声をあげてしまいました!

棹を12個に分解して持ち運ぶことができる仕組みで、戦場でも常に三味線を持ち歩き弾いていたとか。

「死後は墓前に芸奴を集めて三味線を鳴らしてほしい」と遺言したとも伝わる、風流をこよなく愛した高杉晋作。

もう…かっこよすぎ!  


写真6枚目は、明治17年に『東行庵』建立の際に寄付を寄せた人の名簿です。

山縣有朋、井上馨、山田顕義、伊藤博文など長州の同志のほか、公家の三条実美など名だたる人物たちが名を連ねています。

こちらは高杉晋作が持ち歩いていたといわれる、白衣観音像


ワンスペースの展示室ですが、高杉家から寄贈された遺品のほか、奇兵隊に関する貴重な資料とともに、幕末の動乱についてのパネルなどで分かりやすく展示されています。

歴史上の人物を身近に感じて、自分たちの命が長い長いつながりの元に生かされてることを実感できますよ!   


『東行記念館』では現在、常設企画展「流伝ー高杉晋作が残したものー」(令和6年3月17日まで)が開催されています。

ぜひ足を運んでみてくださいね!


※資料保護のため所蔵されている展示資料は企画展ごとに入れ替えているため、今回ご紹介した資料が常に展示されているわけではありません。企画展ごとの展示内容についてはお問い合わせください。


【下関市立東行記念館】

電話:083-284-0212

開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)

休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)※祝日の翌日・年末年始(12月28日~1月4日)休館、その他展示替えなどで臨時休館があります。

観覧料:一般300円、大学生等200円、18歳以下無料


幕末志士の聖地のような、境内を散策

高杉晋作のお墓は、四季折々に様々な花が咲く広い境内にあります。

取材時は12月で山茶花(さざんか)がとても綺麗でした。

長男に「梅乃進」と名付けたりするほどに高杉晋作が愛した梅は、境内に200本も植えられており、見頃を迎える初春から2月頃は梅見の人で賑わうそう。

この他にツバキ、桜、ツツジ、シャクナゲ、紫陽花、秋の紅葉など彩りが絶えない境内では、一年中花暦の散策を楽しめます。


木々に囲まれ、境内には幕末志士たちの墓碑の他、高杉晋作を称える顕彰碑や歌碑、文学婢など、多くの石碑が立ち並んでいますが、 今回の取材では『東行記念館』学芸員の久保さんに見どころを解説をしていただきながら、歩いてきました。

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…」と伊藤博文が称えた顕彰碑

境内には幕末志士たちの墓碑の他、高杉晋作を称える顕彰碑や歌碑、文学婢など多くの石碑が立ち並んでいますが、境内を歩いてまず現れるのが、この「高杉晋作顕彰碑」です!


撰文は初代内閣総理大臣だった伊藤博文。

頭書きの「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…」はあまりにも有名ですが、伊藤博文によるものだったんですね~! 


除幕の際には井上馨が、2時間もの演説をしたというのが伝説となっているのだとか。

死生を共にした同志への想いが溢れて止まらなかったんでしょうか 

「高杉晋作顕彰碑」からさらに進むと、たくさんの石碑に囲まれ、「東行墓」と刻まれた高杉晋作のお墓がありました。 

結核という病で床に伏せていた際に「面白き、こともなき世を、おもしろく」という有名な辞世の句を遺し、明治維新を見届けることなく27歳という若さで亡くなりました。

色々な解釈がありますが、時代を超えた現代でも私たちの心に響く名言ですよね!

その墓石は、ここ下関吉田の地で今の世を見守るように立っていました  


すぐ隣には、高杉晋作の右腕として奇兵隊の軍監を務め、数々の軍功を立てた福田侠平の墓があります。

「死んだら晋作のそばに埋めてほしい」との遺言が叶えられた形になっていますが、本来ならば元々身分の高い高杉晋作の隣で眠るということは容易ではないはず。

学芸員の久保さんによると、福田侠平が晋作から信頼されていた人物の一人であったことを、周囲からも認められたためではないか、ということでした。


その一段下がったところには、晋作の死後42年間彼を弔い続けた末、明治42年に亡くなった初代庵主"おうの"のお墓が佇んでいました。

さらに奥へ歩いていくと、幕末の維新戦争で亡くなった隊士を弔う「奇兵隊および諸隊士 顕彰墓地」があります。

多くは10代、20代の若い青年だったため子孫がなく無縁仏となっていたのを、第3代庵主の玉仙が各地から隊士の墓を集め、ここに供養したのだそうです。

命をかけて信じた道を貫き通した青年たちがいたからこそ、巻き起こった革命の大きな渦…。

そんな幕末志士たちに想いを馳せ、手を合わせました  

「高杉晋作顕彰碑」から少し上がったところに、高杉晋作が大庭伝七にあてた手紙で遺書として指定していた「墓碑銘」(墓石に刻む文章)を刻んだ石碑があり、案内していただきました。





表 故奇兵隊開闘総督高杉晋作則

  西海一狂生東行墓

  遊撃将軍谷梅之助也

裏 毛利家恩古臣高杉某嫡子也





墓碑が建てられた際にこの遺書が発見されていなかったため、刻まれなかった幻の墓碑銘を「高杉晋作遺言墓碑銘の碑」として創建されたもので、この内容は遺書として高杉晋作の生き様や想いがとても深く込められているものなのだと、学芸員の久保さんが教えてくださいました。

最初の3行(表)で自らの生涯を表し、最後の行(裏)で主君への忠誠を表している…

身分を問わず参加を認めた奇兵隊を創設し、クーデターを起こしたり、脱藩と間違われるような行動をしたりと、とにかく「幕末の風雲児」と呼ばれ常人には真似できない行動をしてきた高杉晋作ですが、実はそれもこれも、すべては毛利家への忠誠心が原点だという、イメージと相反する側面を持った真実の高杉晋作が伝わってくるものなんだそうです。

うーん、深い! 

この石碑の近くには、高杉晋作の盟友・山縣有朋(第三・第九代内閣総理大臣)の銅像が立っています。


このあたりの土地を所有していた山縣有朋は、維新後に生活の基盤を失っていた"おうの"に、自分が住んでいた庵とその周辺の里山をそっくり譲りました。

その後"おうの"は得度を受け、初代庵主"梅処"としてこの地で晋作の墓を守り続けたのです。


境内を散策していると、「東行池」と呼ばれる池がとても綺麗でした。

静かな水面にはたくさんの木々が鏡のように映り、季節は冬なので山茶花が唯一の彩りです。


命を散らしていった志士たちの聖地を彩る花々を見ながら、同志たちの絆に感動  

そして梅処をはじめ、この場所を守ってきた3人の女性庵主たちの生涯に想いを馳せました。

高杉晋作が愛した梅をモチーフにした名物・晋作餅

余韻に浸りつつ駐車場に戻ったら、名物・晋作餅のお店『清風亭』へ!

晋作餅とは、高杉晋作が好きだった梅に因んで、小豆あんを赤紫蘇(梅酢漬け)を練り込んだお餅で包んで香ばしく焼いたもの  

(120円/赤紫蘇で巻かないタイプと、巻いたタイプと2種類があります。)

程よい甘さの餡と赤紫蘇の酸味が、想定以上のグッドマッチングでハマる美味しさでした!


あつあつの焼き立てをこの場でいただくもよし!ドライブのお供にテイクアウトするもよし!食堂スペースでイートインするもよし!

(うどんやそば、カレー、おにぎりなどのお食事メニューのほか、晋作餅が入った晋作ぜんざいなどの甘味もあります♪)

晋作餅は日持ちしないため東行庵限定販売だそうです。ここでしか食べられないお餅、ぜひ召し上がってみてください♪


【清風亭】

電話:083-284-0884

定休日:月曜日

営業時間:9:30~16:00

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東行庵の池のそばに天然ラジウム温泉『晋作の湯』があります!

2階休憩所からは東行庵の四季折々の景色も満喫できますよ~  


【晋作の湯】

電話番号:083-284-0268

営業時間:8:00〜21:00(最終受付20:30)

料金:大人 600円、小人 300円

『カフェ 水月苑』歴史の時空に迷い込む…

『東行庵』から車で約20分、隣町の小月にやってきました。

以前から気になっていた『小月パン工房』に併設されている古民家カフェ『水月苑』へ立ち寄り、ランチタイムです♪

趣のある門構えに、親しみやすい雰囲気の看板が目印です。

門をくぐると、立派な邸宅に併設されているパン工房から焼き立てのパンの香りが漂ってきました  

北海道産小麦100%、天然水を使用し、保存料や乳化剤を一切使わない無添加にこだわったパンが製造・販売されています。


こちらの邸宅は旧清末藩邸を移築したという書院造の建物で、明治時代に移築され兒林家が居住していたもので、現在は『カフェ 水月苑』として使われています。

すぐ近くの路地裏には「奇兵隊宿営地跡」の史跡が残っているそうです。

本当に下関中を志士たちが駆け巡っていたのだなぁ…!


パン工房の奥の玄関から中に入ると、まず目に入るのが玄関に飾られている金の屏風…!

そして、その荘厳さに引けを取らない大正浪漫・昭和レトロがぎゅぎゅっと詰まったような室内は、高杉晋作ら幕末の志士たちに想いを馳せた旅の余韻を覚めさせることのない空間です  

表面に微妙な歪みがある「大正硝子」が使われている縁側の窓越しには、美しく整えられている日本庭園。

硝子越しにゆらめく緑を眺めていると、まるで時が止まっている様  

インテリアも景色も、どこを眺めても本当に素敵すぎてため息が出てしまいます♡

(写真5・6枚目は洗面所へつづく昔ながらの縁側と、趣を活かして改修された廊下です。)

お食事メニューは「長州鶏バターチキンカレー」(1,000円)と「ソースが決め手‼ナポリタン」(900円)があり、どちらもこだわりの材料とオリジナルレシピでとっても美味しそう♪

ナポリタンは、北海道産小麦粉・ゆめちから100%のスパゲッティを使っているとのことで、パスタ好きの私はこちらをチョイス。

もちもちの麺に、濃厚なトマトソースと良質なベーコンの塩気がしっかり絡まって、とーっても美味しかったです  

そしてパン工房からのメニューとして、「厚切りバタートースト 四つ葉バターのせ」(350円)、「目玉焼トースト」(500円)、「チーズトースト」(ゴルゴンゾーラまたはシュレッドチーズ、500円)の3種類から、「チーズトースト(ゴルゴンゾーラ)」をいただきました。

たっぷりのチーズに山口県産はちみつがたっぷりついてきて、あぁ、幸せ…♡

デザートには、一番人気だという「昭和プリン」(500円)を。

プリン1つあたりに卵1つが贅沢に使われているそうです。

しっかりとした固さがありながらも、口どけが良く滑らかな食感…、そのバランスが絶妙で、「うーん!美味しい♡」と唸ってしまいました  

その他のデザートメニューには、この「昭和プリン」を使った1日5食限定の「プリン・アラ・モード」(季節の果物と手作りケーキ2種添え、1,000円)や、自家製あんこを使ったお餅入りの「ぜんざい」(700円)、ベルギーチョコを使った「濃厚チョコレートケーキ」(500円)などこだわりのラインナップで、次回はどれにしよう?とすでに考えている私でした(笑)。


アンティークカップに注がれたあったかいコーヒー…

看板猫のこうすけちゃん(♀)に癒され…

その向こうには、しとしと雨が滴る日本庭園。

贅沢にリラックスできるふかふかのソファーに腰はすっかり沈んで、本当にゆっくりさせていただき、高杉晋作ゆかりの地を訪ねる旅の終わりに歴史ロマンに浸ったままでいられる、最高の場所でした♡



【小月パン工房/カフェ水月苑】

電話:083-282-0108

営業時間:9:00~17:00   

店休日:ホームページをご確認ください。

※建物や庭園の見学のみの入場はできません。

※カフェ水月苑に小月パン工房で購入いただいたパンを持ち込むことは可能ですが、ワンドリンク注文をお願いいたします。


高杉晋作ゆかりの地を訪れ、歴史を感じた一日!

今回は『功山寺』と『東行庵』という、下関市内の高杉晋作ゆかりの地と、歴史を感じながらゆったりできるカフェへ訪れました。

周辺の関連スポットと合わせて訪れた場所を地図に示したのでご覧ください♪(①~⑤)

高杉晋作の足跡はまだまだたくさんありまして、1日ではなかなか回りきれないことから今回は割愛した場所も、ご参考までに入れてみました。(⑥~⑧)


新しい日本のために懸命に生き抜き命を散らした志士たちが、確かにこの地を駆け抜けていた…!

歴史の息吹を感じる、じんわり感動の1日でした  

かつて長州藩だった山口県の幕末スポット、みなさんもぜひ巡ってみてください♪

  • 功山寺
  • 下関市立歴史博物館
  • 東行庵
  • 晋作の湯
  • 小月パン工房/カフェ 水月苑
  • 高杉晋作療養の地
  • 高杉晋作終焉の地
  • 高杉晋作誕生地

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高杉晋作は何をした人?より深く知りたい方に!

こちらの記事では、高杉晋作の波乱の人生と、今回のブログ記事では取り上げていない「松下村塾」が晋作に与えた影響などを、晋作本人による語りでご紹介しています。 

ぜひ合わせてご覧ください。

高杉晋作は何をした人?より深く知りたい方に!

この記事を書いた人

サキエ

神奈川県で生まれ育つ。20代で海外一人旅にはまり、30代で三重県熊野地方に移住。熊野古道ガイドをしながら地域密着型セレクトショップ「木花堂」を開業。休日は海に潜るか山に登るかのどちらかでした。結婚後、夫の故郷山口県へ引っ越し、40代は育児を楽しみながら、自営業でお弁当作りと草編み作家活動をしています。人生を豊かにする旅やおでかけのきっかけとなるような記事を、子どもたちと一緒に大好きな山口県から発信します!

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