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豊栄神社

瓦屋跡

錦の御旗製作所跡
慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。
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善生寺庭園

山口県文書館
藩政文書(毛利家文庫ほか)、諸家文書、行政文書(重要文化財「山口県行政文書」ほか)、行政資料(リーフレット・ポスターほか)、特設文庫などの資料が閲覧できます。
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円龍寺

長沢池
国道2号線そばにある周囲約6㎞の大湖。慶安4年(1651年)頃、代官東条九郎右衛門の在役中に築かれたもので、天保年間には鋳銭司村、名田島村、台道村の田畑に堤水を供給し、他村が干ばつにみまわれても、長沢堤を利用する村々は干ばつを免れました。現在では、春は桜…
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サビエル公園
サビエル布教地として記念碑とビリヨン神父の銅像がある。サビエル公園は山口市金古曽町に存在した大道寺跡地とされる場所に作られた公園で、サビエル記念碑も建てられています。 大道寺は大内義隆がサビエルに与え、布教の拠点となったでした。その後、サビエルは仲…
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玄答院
【全体概要】山号を放光山といい、曹洞宗の寺院です。寺伝によると開創された年月は不明ですが、天正5年(1577)に曹洞宗に改まったとあります。寛永7年(1630)この地方の領主であった益田景祥が没したことにより、古くからあった寺を玄答院と改名し、益田景祥の菩…
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脱隊諸士招魂の碑
脱退諸士を慰霊する招魂碑
1869(明治2)年、藩政府は奇兵隊を含む諸隊を再編する兵制改革を行いました。これを不服とした約2千人の隊士が内乱を起こし、鎮圧され、首謀者らはこの地で処刑斬首されました。その霊を弔うため招魂碑が建てられました。
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正護寺
臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…
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陶の腰輪踊
8月28日に、陶の八雲神社(荒神社)の神事として境内で舞われる踊り。八雲神社に所蔵されている「当屋名寄帳」によると、およそ400年以上前から、念仏踊りとして行われていたことが分かります。この踊りは、馬の病難除けを祈るための舞いで、踊り子が御幣を下げた竹の…
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山口県埋蔵文化財センター

大林寺

秋穂霊場八十八ケ所
国内最古と伝えられる写し四国
この霊場は天明3年(1783年)、約230年前に遍明院第八世の性海法印(住職)が四国八十八ヶ所を巡拝して、各札所の護符と土砂を秋穂に大切に持ち帰り、秋穂各地に祀り、祈願し、その場所を「秋穂霊場札所」としたのが始まりです。四国八十八ヶ所の写し霊場「写し四国」とし…
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萩往還(山口)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。山口市内の関連の遺跡として…
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山口市歴史民俗資料館

山口大学埋蔵文化財資料館
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白石山ハイキング

栄山自然観察の森
自然を体験、学習する場として整備された「栄山自然観察の森」。野鳥・植物・昆虫などを歩きながら観察できる散策路や冒険路があり、展望台からは、山口市街、遠くは九州国東の島々などの眺望を楽しむことができます。
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