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小鯖代神楽舞

毎年秋の小鯖八幡宮例祭の時、神社の境内で舞われる代神楽舞。江戸時代の初期に、住民の家内安全・繁昌を祈って、宮内の名子(農民)を伊勢に参らせ、伝承を受けたと言われ、古来、氏神八幡宮の所在地である宮河内地区に伝わり、恒例として、毎年4月16日と10月16日の…

  • 山口・防府エリア
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小鯖代神楽舞

鷺流狂言

山口市の鷺流狂言は長州藩お抱え狂言に発しています。能楽とともに室町時代にできあがりました。その後、狂言師春日庄作が、明治20年頃に市内野田に能舞台が創設されたのを機に山口に定住し、芸を伝えました。

  • 山口・防府エリア
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鷺流狂言

福田侠平の墓

福田侠平は山県有朋とともに奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作や、他の隊士の信頼も厚かったと伝えられています。お墓は本人の希望により東行庵の高杉晋作の横にもありますが、ここには遺髪が埋められています。近隣の北辰妙見社には位牌が祀られています。

  • 山口・防府エリア
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福田侠平の墓

大波野神舞

大波野の4地区に伝わり、5年に1度はそのうちのいずれかの地区の神社(今は、公民館など)で、10年に1度は八幡八幡宮に奉納されている神楽です。天明の飢饉(1782年~1787年)の際、大洪水や疾病等で6年もの間悲惨を極め餓死する者まで出たため、このような惨事を無く…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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大波野神舞

五卿登陸処

文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿登陸処

普門寺塾跡

大村益次郎は普門寺の観音堂で学生たちに兵学をおしえていました。当時、この塾は普門寺塾と呼ばれていました。

  • 山口・防府エリア
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普門寺塾跡

民謡「男なら」

幕末に、長州藩の武士は海防のため下関に総出していたため、萩の老若婦女子が菊ケ浜に台場を築きました。その時、士気を鼓舞するため歌ったのが民謡「男なら」です。

  • 萩・長門エリア
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民謡「男なら」

仁馬山古墳

仁馬山古墳は、全長74mの前方後円墳です。後円部は直径46m、3段築成で、ほぼ原形を保っています。下関市街の北方、響灘に注ぐ綾羅木川右岸の台地上にあり、台地の南縁に沿って前方部を西に向けた長門地方最大の前方後円墳です。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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仁馬山古墳

十二代豊田種長追善供養板碑

一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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十二代豊田種長追善供養板碑

滝坂神楽舞

 滝坂神楽舞は、1764年(明和1年)の黄幡社建立当時に、3年間続く大飢饉と牛馬の疫病を免れようと、厄払いの祈願のため神楽を奉納したのが始まりとされています。現在、滝坂神楽舞保存会により保存・伝承されており、毎年11月2日の午後8時から舞が行われています。三…

  • 萩・長門エリア
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滝坂神楽舞

三隅の腰輪踊

三隅八幡宮の9月16日の例祭に奉納されるもの。歌を伴わぬ楽だけの踊りで、四楽が伝えられています。

  • 萩・長門エリア
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三隅の腰輪踊

極楽寺(金銅一光三尊立像)

真言宗の寺で、極楽寺蔵の金銅一光三尊立像は、県の文化財に指定されています。像は、一個の舟形光背(ふながたこうはい)を背にして、三尊が立つ金銅仏で、光背の高さ53.8cm、仏像の高さは中尊41cm、脇侍各 29cm。

  • 萩・長門エリア
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極楽寺(金銅一光三尊立像)

霜降城跡

宇部市街の北約8km、厚東川左岸にある霜降ケ岳にあり、治承3年(1179)頃、厚東氏7代武光が築城したといわれています。県内最大の規模をもつ山城です。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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霜降城跡

一棟貸しの宿泊施設 町家ステイ:戎丁

中庭を眺めながら暮らす、明治の粋を感じる住まい

『津和野町家ステイ戎丁(えびすちょう)』は、家主の口伝では明治23年(1890)に建設された長屋建築をもとに、リビングや現時点で最新のバス・トイレなどを取り入れた、モダンで快適な空間に仕上げています。暮らしのあらゆるシーンで、中庭を意識し愛でていたであろ…

  • 山口・防府エリア
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一棟貸しの宿泊施設 町家ステイ:戎丁

千八尋の滝

険しく切り立った高い山の狭間に堂々と地響きを立て落下すること約30m。下には奇岩怪石がほの暗い岩壁の間に横たわり、下流は未開の渓谷となっている。ここには小千八尋その他の滝や淵がある。千八尋の滝の名の起こりは、津和野藩主7代目亀井矩貞が隠居して徳祥院と号…

  • 山口・防府エリア
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千八尋の滝

嘉楽園

嘉楽園は、旧藩主亀井氏の藩邸の庭園の一部で、初代養老館学頭の山口景徳によって名づけられました。物見櫓、馬場先櫓が残り、旧藩邸の面影を伝えています。春は桜が美しく、名所として知られいます。また、秋にはイチョウを楽しむことができます。

  • 山口・防府エリア
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嘉楽園

桑原史成写真美術館

津和野初のドキュメンタリー・ギャラリー

津和野駅を出て、右手にある建物で、中には津和野町観光協会も入っています。「写真を通じて日々刻々と変化する国内外の様々な出来事を身近に紹介する場」をコンセプトに、津和野町出身の報道写真家・桑原史成氏の撮影した写真を常設展示しています。作品は、3ヶ月に…

  • 山口・防府エリア
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桑原史成写真美術館

植松古墳公園

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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植松古墳公園

狗留孫山ハイキングコース

【全体概要】狗留孫山は、標高616.3メートルの山です。八合目には、真言宗の古刹修禅寺があり、多くの参拝者を集めている。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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狗留孫山ハイキングコース

青山霊園

【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。

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青山霊園