検索結果

65件ありました
並び順
アクセス数順
更新順
現在地から近い順
表示切り替え
タイル
リスト
マップ

高橋利兵衛の墓

元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_17155.html
高橋利兵衛の墓

虚無僧墓

酒好きな虚無僧の墓で、頭痛を患う人が酒を供えると治るといわれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_15645.html
虚無僧墓

赤祢武人墓所

柱島の西栄寺にある奇兵隊第三代総督赤祢武人墓所。柱島の医師の子として生まれた赤祢武人は、松下村塾で吉田松陰に学び、後に奇兵隊の第三代総督を務める。しかし、当時藩政を主導していた俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになる…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_17139.html
赤祢武人墓所

井上馨墓

井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…

detail_17367.html
井上馨墓

所郁太郎の墓

所は美濃国出身で、京都で医者として開業していましたが幕府に追われ、山口で開業しました。慶応元年(1865)27歳で病死しました。

  • 山口・防府エリア
detail_17112.html
所郁太郎の墓

青山霊園

【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。

detail_17366.html
青山霊園

阿倍野墓地

【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。

detail_17983.html
阿倍野墓地

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_17153.html
小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

引地君の墓

引地は、九州豊後の大友宗麟の七女でキリシタン名をマゼンシャといいました。墓は2m以上もあり、五輪塔の形式をとっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_10794.html
引地君の墓

大野毛利家墓所(秀巌寺)

大野毛利初代「就頼」の生母や正室が眠る

大野毛利初代就頼(なりより)の生母と正室ならびに正室の生母のお墓があり菩提寺として伝わっています。門をくぐった左手側にお墓があります。就頼は平生湾の開作を願いでて許可されました。海水を堰き止め、広大な140ヘクタールの干拓地を造るようになりました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_11815.html
大野毛利家墓所(秀巌寺)

山崎隊士の墓所

【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_17137.html
山崎隊士の墓所

貞昌寺

毛利家一門筆頭宍戸家の菩提寺。代々の位牌と墓があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
detail_15577.html
貞昌寺

豊久丸の墓

大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。

  • 山口・防府エリア
detail_15588.html
豊久丸の墓

阿川毛利氏墓所

阿川毛利六代広規から十七代まで、歴代藩主の墓が立ち並びます。付近には居館跡も残っています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_15650.html
阿川毛利氏墓所

遠藤謹助墓

【施設概要】麟祥院は、徳川三代将軍家光の乳母春日局の菩提寺としても知られています。 局はここで余生を送り、その没後境内に墓地が造られました。 当時はお寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので、からたち寺と呼ばれていたそうです。 長州ファイブの一…

detail_17360.html
遠藤謹助墓

厚狭毛利家墓所

厚狭毛利家一族が眠る場所

【全体概要】郡、船木に八千余石を領した毛利元康以降13代及びその一族の墓所。洞玄寺裏山にあり、毛利勅子(徳基高女の開創者)の墓もならんでいます。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_12607.html
厚狭毛利家墓所

錦小路頼徳の墓と碑

七郷落ちの一人であった錦小路は、下関の砲台を巡視中に亡くなったためこの地に手厚く葬られました。

  • 山口・防府エリア
detail_17110.html
錦小路頼徳の墓と碑

十二代豊田種長追善供養板碑

一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_10760.html
十二代豊田種長追善供養板碑

亀井家墓所

永太院の裏山にある藩主亀井家歴代の墓所。築地塀に囲まれた墓石が並びます。

  • 山口・防府エリア
detail_15754.html
亀井家墓所

仲哀天皇殯葬所

華山・西の岳の頂上に小祠があり、その昔、仲哀天皇を御殯葬した霊跡といい伝えられています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
detail_10674.html
仲哀天皇殯葬所