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明治維新百年記念公園

向道湖
ダム周辺には,500本余りの吉野桜があり,4月上旬から下旬にかけて開花する。また,ヘラブナ,アユ,コイなどの釣りも楽しめる景勝地で,ハイキングにも好適である。
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光つつじ苑

金輪神社
下松の地名の由来となった、星が降ったとされる鼎の松がある神社です。現在は初代から種を受け継いだ5代目が、下松市北斗町にある金輪神社に「鼎の松」として大切にされ、まちを守り続けています。
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大野神舞
10月に獅子舞が町内を練り歩く
毎年10月第1日曜日に開催される大野八幡宮の秋祭りや、地域交流センター祭りなどで披露しています。神舞の種類は、全部で14種類あり、1人で舞うものから、最大10人で舞うものまであります。また、獅子舞も有名で、大野八幡宮と野島神社の境内にて獅子が縁起の舞を披…
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周防嫁いらず観音
【全体概要】嫁いらず観音は、徳川時代初期に周防一帯の観音信仰に厚い豪商や豪農が奇進したもの。いつの頃からか、薬師堂左手の竹藪の中にある二体は、老後の無病息災と家族の手数を煩わすことなく極楽往生を叫えてくれる霊験で、一体を「嫁いらず観音」一体を「ぼけ…
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揉山

四境の役大島口戦跡碑

籌勝院
【全体概要】長州軍は、第二次征長軍からの攻撃に備え、遊撃隊を主力として小瀬村に駐屯させた。籌勝院はその際、遊撃隊の本陣がおかれた場所である。慶応2年(1866)6月14日未明に開戦された芸州口の戦いで彦根藩を中心とする征長軍の主力部隊に対し大勝。境内には…
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戻路杖踊り
【全体概要】戦国時代、美濃国の墨川三輔がこの地に逃れた際、兵法武芸十八般の内、棒術の流れを汲むものを伝えたのが始まりとされます。一時途絶えていましたが、地区の人々の努力により再現されました。現在は9月の中須小・中学校合同運動会にて踊られています。
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大人の贅沢時間!「香り豊かな珈琲の淹れ方体験」

小糠踊

長野神楽舞
寛永16年(1639)に創設され、享保5年(1720)より七年期となったとされます。七年期神楽舞の由来は享保年間(1716~1736)に、数年続いた大飢饉で凶作、虫害に苦しみに対し、生業発展・五穀成就・百難消滅を三地区(上・中・東長野、下長野、鳴川・中島)で蛆ヶ森(…
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高照寺山ハイキングコース
ふもとに冷泉屋敷跡、中腹に長宝寺があり、春は桜・ツツジが、秋は紅葉が楽しめます。山頂には、無線中継アンテナが多数あることから「無線銀座」と呼ばれています。
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納蔵原古墳
大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口しています。出土品は田布施町郷土館に展示、保管されています。
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ハゼの巨樹
江戸時代の長州藩は、藩財政強化のため、米、塩、紙、蝋(ろう)の生産を奨励し、いずれも色が白いことから防長四白と呼ばれました。ハゼノキは、かつて果実から蝋を採るために栽培していたもので、このハゼノキもその頃に植えられたと考えられています。
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室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
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楢崎剛十郎生誕の地

富永有隣の旧宅跡地
冨永有隣は、松下村塾の教師として明治の元勲達を教育した人物です。「馬関戦争」「四境戦争」では軍功を立てましたが、国事犯として石川島獄に投ぜられ、大赦によって富永家の移居していた瓜迫に帰り、著述のかたわら近在の青年に道を説き書を講じました。独歩の小説…
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平生町民具館
昔の民具と塩田用具は必見
塩田関係、漁労、農耕、衣食住関係約600点の民具を展示しています。創意と工夫をこらしたものがたくさんあり、昔の人の生活がしのばれます。
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