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山崎隊士の墓所
【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。
- 岩国・柳井・周南エリア

厚狭毛利家墓所
厚狭毛利家一族が眠る場所
【全体概要】郡、船木に八千余石を領した毛利元康以降13代及びその一族の墓所。洞玄寺裏山にあり、毛利勅子(徳基高女の開創者)の墓もならんでいます。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

彦根戦死士之墓

福田侠平の墓
福田侠平は山県有朋とともに奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作や、他の隊士の信頼も厚かったと伝えられています。お墓は本人の希望により東行庵の高杉晋作の横にもありますが、ここには遺髪が埋められています。近隣の北辰妙見社には位牌が祀られています。
- 山口・防府エリア

十二代豊田種長追善供養板碑
一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

杉元相父子の墓所

亀井家墓所

維新十三人墓
慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。
- 岩国・柳井・周南エリア

大内義隆供養塔
室町時代の守護大名大内義隆が長門市大寧寺で自害、側室の子息が忍び逃れ、御舟子の養雲院の住職となり、義隆卿、正室、側室を供養するため建立した石塔が三基あります。
- 萩・長門エリア

阿川毛利氏墓所

虚無僧墓

児玉源太郎墓
【施設概要】児玉源太郎は、長州藩の支藩・徳山藩出身の陸軍軍人。 陸軍大学校長、台湾総督、陸相などを歴任した後、日露戦争では満州軍参謀長として全力を尽くして作戦指導にあたり、戦後まもなくの明治39年に、あたかも力尽きたかのように亡くなりました。 はじ…
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癒鶴地(鶴の墓)
ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…
- 岩国・柳井・周南エリア

井上馨墓
井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…
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所郁太郎の墓

浮舟庵の墓
JR江崎駅前通りを県道に出て、右へゆるやかに登ると、すぐ右手の小高くなったところに、安永年間に建てられた、県下でも珍しい酒樽の形をしたお墓があります。 墓石には、「浮舟庵独醒風士・安永の秋、友人某」と書いてあります。 このお墓は、酒好きでいながら働…
- 萩・長門エリア

高橋利兵衛の墓
元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…
- 岩国・柳井・周南エリア

吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑
小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…
- 岩国・柳井・周南エリア

青山霊園
【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。
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南岳墓地
【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)における防長殉難者48士の墓碑が並ぶ。
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