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虚無僧墓

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑
石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…
- 岩国・柳井・周南エリア

中山忠光墓
中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大野毛利家墓所(海前寺跡)
大野毛利二代目「就詮」が眠る
大野毛利8,600石の領主、ご一族の菩提寺(ぼだいじ)であった海前寺というお寺があった場所です。お墓の手前や右側に栗の木や黒松、くろがねもち、梅の木などの庭木があり屋敷の跡を思わせるものがあります。海前寺跡大野毛利氏の二代就詮(なりあき)ら10基のお墓が…
- 岩国・柳井・周南エリア

遠藤謹助墓
【施設概要】麟祥院は、徳川三代将軍家光の乳母春日局の菩提寺としても知られています。 局はここで余生を送り、その没後境内に墓地が造られました。 当時はお寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので、からたち寺と呼ばれていたそうです。 長州ファイブの一…
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吉見正頼息女の墓
【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。
- 萩・長門エリア

仲哀天皇殯葬所

維新十三人墓
慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。
- 岩国・柳井・周南エリア

福田侠平の墓
福田侠平は山県有朋とともに奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作や、他の隊士の信頼も厚かったと伝えられています。お墓は本人の希望により東行庵の高杉晋作の横にもありますが、ここには遺髪が埋められています。近隣の北辰妙見社には位牌が祀られています。
- 山口・防府エリア

引地君の墓

青山霊園
【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。
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山崎隊士の墓所
【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。
- 岩国・柳井・周南エリア

十二代豊田種長追善供養板碑
一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

亀井家墓所

癒鶴地(鶴の墓)
ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…
- 岩国・柳井・周南エリア

高橋利兵衛の墓
元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…
- 岩国・柳井・周南エリア

井上馨墓
井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…
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杉元相父子の墓所

所郁太郎の墓

錦小路頼徳の墓と碑








