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山田顕義墓

護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。長州藩出身の山縣有朋の墓もそ…

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山田顕義墓

青海島鯨墓

鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…

  • 萩・長門エリア
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青海島鯨墓

児玉源太郎墓

【施設概要】児玉源太郎は、長州藩の支藩・徳山藩出身の陸軍軍人。 陸軍大学校長、台湾総督、陸相などを歴任した後、日露戦争では満州軍参謀長として全力を尽くして作戦指導にあたり、戦後まもなくの明治39年に、あたかも力尽きたかのように亡くなりました。 はじ…

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児玉源太郎墓

彦根戦死士之墓

「安禅時」境内に彦根藩戦死士之墓を建立し、彦根藩戦死者の霊を弔っている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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彦根戦死士之墓

亀井家墓所

永太院の裏山にある藩主亀井家歴代の墓所。築地塀に囲まれた墓石が並びます。

  • 山口・防府エリア
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亀井家墓所

仲哀天皇殯葬所

華山・西の岳の頂上に小祠があり、その昔、仲哀天皇を御殯葬した霊跡といい伝えられています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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仲哀天皇殯葬所

野村望東尼終焉の宅跡及び墓

幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた野村望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。宅跡は三田尻本町に、墓は桑山にあります。

  • 山口・防府エリア
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野村望東尼終焉の宅跡及び墓

広沢真臣の墓

広沢は明治新政府に登用されましたが、明治4年(1871)暗殺者に襲われ東京麹町の自邸で亡くなりました。のちに分霊が赤妻祀られました。

  • 山口・防府エリア
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広沢真臣の墓

引地君の墓

引地は、九州豊後の大友宗麟の七女でキリシタン名をマゼンシャといいました。墓は2m以上もあり、五輪塔の形式をとっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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引地君の墓

阿川毛利氏墓所

阿川毛利六代広規から十七代まで、歴代藩主の墓が立ち並びます。付近には居館跡も残っています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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阿川毛利氏墓所

阿倍野墓地

【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。

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阿倍野墓地

和泉式部の墓

「恋多き女性」と評されるほど、情熱的な恋愛に関する歌を多く…

平安時代の歌人「和泉式部」が亡くなったと伝わる。和泉式部の墓は、円形に一段高く盛土された上に立てられています。式部は娘の小式部内侍を丘上の松原で安産されたので、その松原は「愛寝の松原」と呼ばれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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和泉式部の墓

虚無僧墓

酒好きな虚無僧の墓で、頭痛を患う人が酒を供えると治るといわれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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虚無僧墓

山崎隊士の墓所

【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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山崎隊士の墓所

赤祢武人墓所

柱島の西栄寺にある奇兵隊第三代総督赤祢武人墓所。柱島の医師の子として生まれた赤祢武人は、松下村塾で吉田松陰に学び、後に奇兵隊の第三代総督を務める。しかし、当時藩政を主導していた俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになる…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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赤祢武人墓所

井上馨の墓

長州ファイブの1人  井上馨

井上は長州藩士井上家の次男として天保6年(1835)に湯田で生まれ、大正4年(1915)東京で亡くなりました。のちに分霊が洞春寺に祀られました。洞春寺は、永亀3年(1572)の春に毛利元就の菩提寺として、安芸国吉田の城内に創建され、幕末の頃に萩から現在…

  • 山口・防府エリア
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井上馨の墓

癒鶴地(鶴の墓)

ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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癒鶴地(鶴の墓)

杉元相父子の墓所

【全体概要】戦国時代、一時野上庄を領した杉元相・元宣父子の宝篋印塔

  • 岩国・柳井・周南エリア
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杉元相父子の墓所

井上馨墓

井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…

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井上馨墓

所郁太郎の墓

所は美濃国出身で、京都で医者として開業していましたが幕府に追われ、山口で開業しました。慶応元年(1865)27歳で病死しました。

  • 山口・防府エリア
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所郁太郎の墓