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高橋利兵衛の墓

元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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高橋利兵衛の墓

山崎隊士の墓所

【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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山崎隊士の墓所

玉乃世履墓

【施設概要】玉乃世履は、幕末の岩国吉川藩の家臣です。主命により京都に遊学した玉乃は一流の学者に学ぶ一方、勤王の志士とも交流を深めました。岩国に帰郷してからは儒学者として活躍しつつ西洋兵学にも注目して地元で農兵を組織し洋式訓練を施し、この農兵が後の四…

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玉乃世履墓

赤祢武人墓所

柱島の西栄寺にある奇兵隊第三代総督赤祢武人墓所。柱島の医師の子として生まれた赤祢武人は、松下村塾で吉田松陰に学び、後に奇兵隊の第三代総督を務める。しかし、当時藩政を主導していた俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになる…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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赤祢武人墓所

引地君の墓

引地は、九州豊後の大友宗麟の七女でキリシタン名をマゼンシャといいました。墓は2m以上もあり、五輪塔の形式をとっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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引地君の墓

虚無僧墓

酒好きな虚無僧の墓で、頭痛を患う人が酒を供えると治るといわれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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虚無僧墓

岩国藩主吉川家墓所

吉川家代々墓所。岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及びその一族の墓が五十一基あります。墓所裏手の山際には「みみずくの手水鉢」があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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岩国藩主吉川家墓所

浮舟庵の墓

JR江崎駅前通りを県道に出て、右へゆるやかに登ると、すぐ右手の小高くなったところに、安永年間に建てられた、県下でも珍しい酒樽の形をしたお墓があります。 墓石には、「浮舟庵独醒風士・安永の秋、友人某」と書いてあります。 このお墓は、酒好きでいながら働…

  • 萩・長門エリア
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浮舟庵の墓

広沢真臣の墓

広沢は明治新政府に登用されましたが、明治4年(1871)暗殺者に襲われ東京麹町の自邸で亡くなりました。のちに分霊が赤妻祀られました。

  • 山口・防府エリア
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広沢真臣の墓

大野毛利家墓所(海前寺跡)

大野毛利二代目「就詮」が眠る

大野毛利8,600石の領主、ご一族の菩提寺(ぼだいじ)であった海前寺というお寺があった場所です。お墓の手前や右側に栗の木や黒松、くろがねもち、梅の木などの庭木があり屋敷の跡を思わせるものがあります。海前寺跡大野毛利氏の二代就詮(なりあき)ら10基のお墓が…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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大野毛利家墓所(海前寺跡)

豊久丸の墓

大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。

  • 山口・防府エリア
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豊久丸の墓

井上馨墓

井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…

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井上馨墓

山縣有朋墓

 護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。 本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。 長州藩出身の山縣有朋の…

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山縣有朋墓

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑

小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑

彦根戦死士之墓

「安禅時」境内に彦根藩戦死士之墓を建立し、彦根藩戦死者の霊を弔っている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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彦根戦死士之墓

錦小路頼徳の墓と碑

七郷落ちの一人であった錦小路は、下関の砲台を巡視中に亡くなったためこの地に手厚く葬られました。

  • 山口・防府エリア
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錦小路頼徳の墓と碑

吉見正頼息女の墓

【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。

  • 萩・長門エリア
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吉見正頼息女の墓

南岳墓地

【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)における防長殉難者48士の墓碑が並ぶ。

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南岳墓地

癒鶴地(鶴の墓)

ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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癒鶴地(鶴の墓)