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土井ヶ浜遺跡

砂堆丘にいとなまれた弥生時代の集団墓地遺跡

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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土井ヶ浜遺跡

神出古墳群

横穴式石室を観察できる珍しい古墳

6世紀末頃につくられた横穴式の円墳群。全部で5基の古墳があることが分かっており、1号墳と3号墳は開かれています。3号墳は玄室(げんしつ)と呼ばれる馬蹄形(ばていけい)の石室の基部が残っており、甕(かめ)の破片などが発見されています。4号墳から提瓶(…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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神出古墳群

万葉の碑

舟泊まりの記録が万葉集・巻の第十五に残る

万葉集に出てくる「可良の浦」は平生町尾国地域で、約1,300年前の長い船旅の途中、風待ち、潮待ち、補給、給水のできる良い港であったと言われています。港にはよい水が豊富にあることが条件で、現在でも年中絶えることなく自然の湧き水が出ている場所が「上関温泉」…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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万葉の碑

遠藤謹助墓

【施設概要】麟祥院は、徳川三代将軍家光の乳母春日局の菩提寺としても知られています。 局はここで余生を送り、その没後境内に墓地が造られました。 当時はお寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので、からたち寺と呼ばれていたそうです。 長州ファイブの一…

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遠藤謹助墓

萩学校教員室

【全体概要】萩学校教員室は木造建物で、桁行12.74m、梁間7.28m一部2階建。外壁は下見板張り、軒回りは化粧軒裏天井、内部は木舞壁、しっくい塗りです。この建物は、山口県に残る明治洋風学校建築の代表的なものです。

  • 萩・長門エリア
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萩学校教員室

貞昌寺

毛利家一門筆頭宍戸家の菩提寺。代々の位牌と墓があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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貞昌寺

岩屋古墳

  • 岩国・柳井・周南エリア
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岩屋古墳

千林尼の大休・指月石畳道

千林尼の人を思う慈悲の心

【全体概要】船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が、険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集め、敷いた石畳道の一つで、文久2年(1862年)8月に完成した。現存の石畳道はその一部で、敷石の長さ約260m、幅1.5mである。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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千林尼の大休・指月石畳道

龍蔵寺観音堂

本堂は中世に建てられた萩最古の建物。6月にはアジサイが咲きます。

  • 萩・長門エリア
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龍蔵寺観音堂

専福寺

慶応2年、長州藩諸隊の1つである第2奇兵隊が石城山の神護寺から専福寺に本陣を移し、四境の役には大島口に出撃して奮戦した。「第二奇兵隊波野陣屋井泉遺跡、岸信介書」の碑があります。里謡に、「波野の専福寺にゃ 不思議がござる 海がないのに 鯛(隊)がすむ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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専福寺

納蔵原古墳

大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口しています。出土品は田布施町郷土館に展示、保管されています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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納蔵原古墳

秋穂霊場八十八ケ所

国内最古と伝えられる写し四国

この霊場は天明3年(1783年)、約230年前に遍明院第八世の性海法印(住職)が四国八十八ヶ所を巡拝して、各札所の護符と土砂を秋穂に大切に持ち帰り、秋穂各地に祀り、祈願し、その場所を「秋穂霊場札所」としたのが始まりです。四国八十八ヶ所の写し霊場「写し四国」とし…

  • 山口・防府エリア
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秋穂霊場八十八ケ所

萩往還(防府)

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…

  • 山口・防府エリア
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萩往還(防府)

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

  • 山口・防府エリア
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正護寺

錦小路頼徳の墓と碑

七郷落ちの一人であった錦小路は、下関の砲台を巡視中に亡くなったためこの地に手厚く葬られました。

  • 山口・防府エリア
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錦小路頼徳の墓と碑

阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群

イヌマキはマキ科の常緑針葉高木。阿川八幡宮は下関市豊北町阿川にあり、イヌマキの巨木は境内のあちこちにあります。本殿裏のマキの森には、直径20cm以上の木が多数あり、そのほとんどがイヌマキです。樹齢600年を数えるものもあり、道路に面したイヌマキは目の高さ…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群

阿川毛利氏墓所

阿川毛利六代広規から十七代まで、歴代藩主の墓が立ち並びます。付近には居館跡も残っています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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阿川毛利氏墓所

庄地古墳

  • 岩国・柳井・周南エリア
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庄地古墳

四境の役大島口戦跡碑

この戦いに破れた幕府軍は、翌年大政を奉還しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役大島口戦跡碑

才谷古墳

【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。

  • 山口・防府エリア
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才谷古墳