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天徳寺

右田ヶ岳のふもとにある天徳寺は右田毛利氏の菩提寺で、寺の東の山麓には右田毛利家の墓所があります。境内には樹齢800年といわれる大きなイチョウの木があり、秋には美しい黄葉を見ることができます。

  • 山口・防府エリア
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天徳寺

教蓮寺

宇野家菩提寺で、千代の墓、父母の墓があります。かたわらには淡墨の桜と紅葉が植えられています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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教蓮寺

朝田墳墓群

弥生時代後半から古墳時代後半にわたる大墳墓群

明治維新公園裏の国道9号のトンネル上にあります。ここには弥生時代末期から古墳時代にかけての墳墓40基があります。発掘調査により、木棺墓6、箱式石棺墓13、壷棺墓4、周溝墓(浅い溝を巡らし封土をもたない墓)8、石蓋土壙墓(せきがいどこうぼ=地表面を堀りくぼ…

  • 山口・防府エリア
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朝田墳墓群

楫取素彦夫妻の墓

萩藩出身で初代群馬県令などを務めたほか、坂本龍馬の長州への入国に貢献したことでも知られる楫取素彦とその妻美和子(=久坂文、吉田松陰の実妹)の墓です。また、楫取素彦の生涯と功績を紹介する顕彰標も建立されています。

  • 山口・防府エリア
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楫取素彦夫妻の墓

山縣有朋墓

 護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。 本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。 長州藩出身の山縣有朋の…

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山縣有朋墓

引地君の墓

引地は、九州豊後の大友宗麟の七女でキリシタン名をマゼンシャといいました。墓は2m以上もあり、五輪塔の形式をとっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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引地君の墓

癒鶴地(鶴の墓)

ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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癒鶴地(鶴の墓)

大野毛利家墓所(秀巌寺)

大野毛利初代「就頼」の生母や正室が眠る

大野毛利初代就頼(なりより)の生母と正室ならびに正室の生母のお墓があり菩提寺として伝わっています。門をくぐった左手側にお墓があります。就頼は平生湾の開作を願いでて許可されました。海水を堰き止め、広大な140ヘクタールの干拓地を造るようになりました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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大野毛利家墓所(秀巌寺)

井上馨の墓

長州ファイブの1人  井上馨

井上は長州藩士井上家の次男として天保6年(1835)に湯田で生まれ、大正4年(1915)東京で亡くなりました。のちに分霊が洞春寺に祀られました。洞春寺は、永亀3年(1572)の春に毛利元就の菩提寺として、安芸国吉田の城内に創建され、幕末の頃に萩から現在…

  • 山口・防府エリア
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井上馨の墓

中山忠光墓

中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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中山忠光墓

伊藤博文墓

伊藤博文は現在の山口県光市の出身で、9歳のとき、萩の足軽伊藤家の養子になりました。松下村塾に学び、高杉晋作らと尊攘、討幕運動に奔走し、維新後は憲法制定に尽力し、初代内閣総理大臣を務めましたが、明治42年10月26日にハルピン駅頭で暗殺されました。伊…

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伊藤博文墓

小野小町の墓

36歌仙のひとりである小野小町の墓。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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小野小町の墓

阿川毛利氏墓所

阿川毛利六代広規から十七代まで、歴代藩主の墓が立ち並びます。付近には居館跡も残っています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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阿川毛利氏墓所

虚無僧墓

酒好きな虚無僧の墓で、頭痛を患う人が酒を供えると治るといわれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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虚無僧墓

山田顕義墓

護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。長州藩出身の山縣有朋の墓もそ…

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山田顕義墓

青山霊園

【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。

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青山霊園

野村望東尼終焉の宅跡及び墓

幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた野村望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。宅跡は三田尻本町に、墓は桑山にあります。

  • 山口・防府エリア
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野村望東尼終焉の宅跡及び墓

維新十三人墓

慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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維新十三人墓

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

仲哀天皇殯葬所

華山・西の岳の頂上に小祠があり、その昔、仲哀天皇を御殯葬した霊跡といい伝えられています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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仲哀天皇殯葬所