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正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

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正護寺

所郁太郎の墓

所は美濃国出身で、京都で医者として開業していましたが幕府に追われ、山口で開業しました。慶応元年(1865)27歳で病死しました。

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所郁太郎の墓

八幡隊結成の地

八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。

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八幡隊結成の地

代神楽

獅子舞と軽業を一緒にした様な観世物で旧藩時代、伊勢から伝わってきた。昔は代官所、庄屋の許可をとり悪魔払いの祈祷として、白幣と抜刀を握って舞い、連獅子、手まりの曲取りを演じていた。(嬉遊笑覧)日華時変、太平洋戦争になって、一時姿を消したが終戦後復活し…

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代神楽

玄答院

【全体概要】山号を放光山といい、曹洞宗の寺院です。寺伝によると開創された年月は不明ですが、天正5年(1577)に曹洞宗に改まったとあります。寛永7年(1630)この地方の領主であった益田景祥が没したことにより、古くからあった寺を玄答院と改名し、益田景祥の菩…

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玄答院

佐波川関水/ほたる

すぐ前に佐波川があり、近くで見ることができる。駐車場有り。

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佐波川関水/ほたる

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

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陶陶窯跡

福田貝館

世界各地の貝類標本約35,00種を展示しています。観覧は電話で予約が必要です。

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福田貝館

百谷窯跡

【全体概要】平安時代の須恵器窯跡。窯体は全長7m、両側壁、奥壁と煙道が残っているが、天井部は崩壊しています。

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百谷窯跡

雨田草堂

明治の傑僧黙雷上人の記念家屋です。

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雨田草堂

楫取素彦三田尻岡村本邸

【全体概要】楫取素彦は、その晩年を防府で過ごし、この本邸にて没しました。書簡によると、明治26年(1893年)に現在の防府市岡村町に屋敷を構えたものと推測できます。この男爵邸は、500坪敷地の大邸宅、迫戸川から三田尻港に流れる疎水に架かる御影石の立派な石橋…

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楫取素彦三田尻岡村本邸

狗留孫山

麓には法華寺、八合目には金徳寺跡があります(庄方観音)。

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狗留孫山

錦小路頼徳の墓と碑

七郷落ちの一人であった錦小路は、下関の砲台を巡視中に亡くなったためこの地に手厚く葬られました。

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錦小路頼徳の墓と碑

小林和作画伯・浜村秀雄(ボストンマラソン優勝者)展示室

【全体概要】旧秋穂町出身の小林和作画伯の作品と、浜村秀雄の記念品を展示しています。

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小林和作画伯・浜村秀雄(ボストンマラソン優勝者)展示室

西・東鳳翩山縦走ハイキングコース

瀬戸内海や秋吉台などが展望でき、四季を通じハイキングを楽しめます。

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西・東鳳翩山縦走ハイキングコース

雀谷山

鬼ヶ城という巨大な岩があります。

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雀谷山

徳地人形浄瑠璃

佐波川流域の旧出雲村や八坂村(今の山口市徳地)で行われている人形浄瑠璃です。1877年(明治10)ごろから、村内に浄瑠璃が流行していたと言われ、西大津の安田広蔵や伏野の荒瀬喜十らが、一人遣いの人形をまねたり、張子の人形を作ったりして、村祭りなどに、境内の…

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徳地人形浄瑠璃

才谷古墳

【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。

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才谷古墳

雨乞い踊り

もともとは、東大寺の用材を筏にして、佐波川を下る折に沈んだ坊さんの追善供養のため催されていました。後に、雨乞い踊として早魃年のみ行うことになったものです。

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雨乞い踊り

広沢真臣の墓

広沢は明治新政府に登用されましたが、明治4年(1871)暗殺者に襲われ東京麹町の自邸で亡くなりました。のちに分霊が赤妻祀られました。

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広沢真臣の墓