美祢市│奈良の大仏の銅は山口県から?「赤」の銅を産出した銅山跡を歩くジオツアーを体験│Mine秋吉台ジオパーク[PR]
「長登(ながのぼり)銅山跡」とその周辺は、奈良時代から近代まで、銅の採掘や製錬が行われた場所。現在は国の史跡に指定され、美祢市の豊かな大地と歴史を物語る重要なスポットとなっています。
今回は、その銅山跡と周辺を徒歩で巡るガイドツアーを体験。 ガイドさんのお話を聞きながら歩くうちに、その歴史の渦中に入り込んだかのような感覚になりました。
※この記事の情報は2026年7月時点のものです。ツアーの行程や所要時間、流れは当日の状況により変わる可能性があります。
- 三山 てらこ

- 192pv
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はじめに│Mine秋吉台ジオパーク「3つのジオツアー」
Mine秋吉台ジオパークでは、かつて地域の産業を支え、現在もまちの発展を支える「地下資源」にスポットを当てた3つのジオツアーを開催しています。
・石灰岩(白)コース:カルスト台地と秋芳洞の成り立ちを知る
・石炭(黒)コース:近代日本の産業を支えた大嶺炭田(おおみねたんでん)を巡る
・銅(赤)コース:奈良の大仏に使われた銅の採掘場、長登銅山跡(ながのぼりどうざんあと)を辿る
ツアーでは、ガイドによる解説のもと、それぞれの資源について、成り立ちや産業との関わりを楽しく学ぶことができます。
今回はその中から、銅にスポットを当てた長登銅山跡周辺のツアーを体験。奈良~平安、室町~江戸、さらに明治~昭和と、3つの時代で採掘の繁栄期を迎えた長登銅山跡。こちらのツアーでは、時代ごとに切り分けた「近世」「古代」「古代近世」の3コースが用意されています。
今回はすべての時代にまつわる歴史遺構を贅沢にめぐる「古代近世コース」の体験レポートをお届けします。
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特集「Mine秋吉台ジオパークとは?白・黒・赤の大地と、世界が認めた地域の力」
山口県美祢市の「Mine秋吉台ジオパーク」が、2026年4月にユネスコ世界ジオパークに認定されました。秋吉台の絶景だけではありません。白い石灰岩、黒い無煙炭、赤い銅。3色の地質が語る地球の歴史と、それを守り続けてきた人々の活動が、世界に認められました。Mine秋吉台ジオパーク推進協議会への取材をもとに、ジオパークとは何か、認定の意義から見どころ・ジオツアーの楽しみ方まで、現地からお伝えします。
秋吉台と言えば石灰岩。なぜ、銅の産地に?
美祢市の秋吉台というと、草原からたくさんの白い岩が顔を出すカルスト台地や、幻想的な地下空間が広がる秋芳洞が特に有名。これらはすべて石灰岩から形成されています。
さらに、この地域に広がる石灰岩はセメントの原料としても重宝され、美祢市を支える重要な産業資源となっています。なかでも「伊佐(いさ)鉱山」は、日本最大級の採掘量を誇る石灰石鉱山です。
そのため、「美祢市・秋吉台=“石灰岩”」というイメージを持つ方も多いのですが、実はこの石灰岩こそが、かつての銅の産出にも深く関係しているのだそう。

実は、長登で採れる銅は、約1億年前のマグマ活動によって、「石灰岩」と「地下水」が化学反応を起こして生まれたもの。
つまり、秋吉台の石灰岩こそが、銅を生み出す源だったのです。
さらに1988年の調査では、東大寺の大仏(奈良県)に長登銅山産の銅が使われていたことが実証されました。
ふもとの遺跡からは800点を超える木簡(※)が見つかり、公的な管理下にあったことも判明。8〜10世紀に栄えた「日本最古の国営銅山」であったことも明らかになりました。
※木簡(もっかん)…字が書かれた木製の札のこと。紙が貴重だった時代に、記録や荷札として使われていました。
長登銅山のふもと「大仏ミュージアム」からスタート
まずはスタート地点である「大仏ミュージアム(長登銅山文化交流館)」に集合。
秋吉台の北東に位置し、車で10〜15分ほど走った長登銅山のふもとにあります。
出発前にはガイドさんからツアーの概要、銅山の歴史などの解説を聞き、これから始まる散策がぐっと面白くなる基礎知識をインプット。
先ほどご紹介した、「なぜこの地で銅が採れるのか?」というお話も、図を使いながら分かりやすく教えてくださいました。
中でも今回のツアーのポイントとなるお話が、長登銅山には3つの時代の繁栄期があったということ。
1. 奈良・平安時代:奈良の大仏の材料が採掘された時代
2. 室町・江戸時代:毛利家や商人たちが関わり、再びにぎわいを見せた時代
3. 明治・大正・昭和:馬車やトロッコを使い、近代産業として発展した時代
日本史に疎い私ですが、ガイドさんの説明や見せてくれた年表がわかりやすく、理解しやすかったのも嬉しいポイントでした。

さあ、ワクワクが高まったところで、いよいよ長登銅山へ出発です。
ツアー1番のハイライト「大切4号坑跡」で、かつての坑道を歩く
ミュージアムを出て、山道を15分~20分程度進むと、山の中腹にある「大切4号坑跡(おおぎりよんごうこうあと)」に到着。
坑跡(こうあと/こうせき)とは、銅などを掘り出すために作られた坑道(地下の通路)や、坑口(坑道の入口)の跡地のことです。
長登銅山には、数多くの坑跡が残っているそうですが、その中でもこの大切4号坑跡は、古代(奈良~平安時代)に使われた坑道が今もそのまま残る、全国的にもとても貴重な遺構です。
しかもこのツアーでは、通常非公開である内部の坑道まで足を踏み入れることができるというレアな体験も。ツアーの始まりにして、最大の見どころです。
さっそくガイドさんから借りたヘルメットと懐中電灯を装備し、穴の中へ入ります。

入口付近は坑道が下に向かって延びているため、手で体を支えながら慎重に下りて行きます。
1歩1歩ゆっくり下りていくと、ふと、ひんやり涼しい空気に包まれる瞬間が。
夏の洞窟ならではの清々しい感覚に、思わず「涼しい~」「気持ちいい~」と声がでるほど感動!

坑口を下りた先に続く坑道は、天井は高いものの、道幅は人が1人通れる程度。足元は岩が転がっている箇所もあり、ヘッドライトや懐中電灯で照らしながら、注意深く進んでいきます。
想像以上に本格的な雰囲気に、まるで冒険家になったような、ハラハラドキドキの気分です。
坑道を進む最中も、ガイドさんの興味深い話が盛りだくさん。

中でも印象的だったのが、古代の採掘のお話。
実は、現在の大きく開いた坑口や、高い天井の坑道は、大正時代(近代)になって、再び銅を採掘するためにダイナマイトで拡大されたもの。古代(奈良~平安時代)の坑道はすべて手作業で地道に掘り進めていたため、人がぎりぎり入れるぐらいの、最小限の大きさにとどめていたそうです。
その小さな空間で、①掘る人②松明で照らす人③採掘した鉱石を持つ人、の3人1組で作業を行っていたのだとか。
「狭いし、松明の熱で暑い。そんな中、手作業で岩を掘り進めるという気が遠くなる作業は、本当に大変だったと思います。」と語るガイドさん。
その言葉に、当時の過酷な情景や人々の苦労が目に浮かび、思わず頭が下がる思いでした。
足元が歩きやすい箇所は、平成になって調査のために整備されたもの
大正時代に拡大された大切4号坑跡ですが、所々に、古代の坑道の痕跡がそのまま残っている部分もあります。
ガイドさんが岩肌を指しながら、「ここはノミで削ったような形跡があるので、おそらく手作業だった奈良時代の採掘の跡ですね。」と教えてくれました。
奥を照らすと、古代の坑道と思われる空間が。
ガイドツアーで足を踏み入れることができるのは、入口から約20mほど進んだところまで。その先は、大正時代の拡大で壊れることなく残った古代の坑道が続きます。
実際に現地で目の当たりにすると、「本当にこの空間で作業していたの⁉」と、その圧倒的な狭さにびっくりするはずです。
江戸時代に活躍した採掘場「千人間歩跡」へ
大切4号坑跡を30分程度見学したのち、次に向かったのは「千人間歩跡(せんにんまぶあと)」。大切4号坑跡よりもふもとに近い場所に位置するため、先ほど登ってきた山道を引き返します。
ちなみに「間歩(まぶ)」とは、江戸時代を中心に使われていた鉱山の坑道や坑口を指す言葉です。

“古代”に採掘がはじまった大切4号坑跡に対し、千人間歩跡は“近世”(江戸時代)に活躍したとされる採掘場。
先ほど見たトンネル状の坑道とは打って変わり、こちらは地面にぽっかりと大きな穴が開いていた形跡が見られます。
江戸時代になると技術が格段に向上し、一度に多くの坑夫が入れるような巨大な坑道を掘ったり、採掘した鉱石の運搬に馬を使ったりするようになりました。同じ山の中に全く時代の異なる採掘場跡が残り、時代によってこれほど大きく姿を変えているのは非常に面白いポイント!「千人間歩」という名前も、一度に大勢の人が入って作業していたことに由来するとも言われています。
現在は緑に覆われた大きなくぼみが残るのみで、ガイドさんがいなければ思わず通り過ぎてしまいそうな場所ですが、解説を聞いているうちに「当時はここがたくさんの坑夫で賑わっていたのかな」と今とは違う光景が目に浮かび、どこか不思議な感覚になりました。
採った鉱石から銅を抽出する「製錬所」があった場所へ
千人間歩跡からさらに山を下り、ふもとに近い「大切製錬遺跡(おおきりせいれんいせき)」にやってきました。
※公式サイトで「木簡出土地」と表記されている場所です。
こちらの場所も、ガイドさんに教えてもらわなければ、「どこに遺跡があるの?」と迷ってしまうほど、今は何の変哲もない草地です。
ですが、足元を見ると、確かにここがかつて製錬所であった証を見つけることができます。
「うねうねした形の、黒い石を探してみてください。」とガイドさん。
宝探しのようなワクワクした気持ちで、目を凝らしながら地面を探してみると―――

見つけました!
これは、「カラミ」と呼ばれる製錬カスなのだそう。鉱石を熱して銅を取り出す際に出る、不純物が固まったものです。
大切製錬遺跡のあたりでは、このカラミが、見慣れた石に混ざってところどころに転がっています。
この特徴的な形状は、古代に製錬された時のものなのだとか。銅を取り出す際、熱で溶けた不純物が、窯の細い穴からにょろにょろと流れ出て固まることで、このような形になったとのことです。
「製錬方法も時代によって変わっているので、カラミの形も全然違うんですよ。あとで近代のカラミも見ることができますが、そちらも面白い形をしているので楽しみにしていてくださいね。」というガイドさんの言葉に、さらにワクワクが高まりました。
さらにこの大切製錬遺跡一帯では、8〜9世紀頃(奈良~平安時代)のものとされる木簡(もっかん)が800点以上も発掘されています。
木簡は、字が書かれた札のことで、紙が貴重だった時代に記録や荷札として使われていたもの。 そこに記された内容から、この長登銅山が日本最古の国営銅山であったことが明らかになっています。
1,000年以上も前に使われていた木簡。なんとその実物が、大仏ミュージアムに展示されていると、ガイドさんに教えていただきました。
ツアーが終わったら、じっくり見に行ってみようと決めました。
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銅山ならではの光景はここにも
大切製錬遺跡をはじめ、長登銅山の一帯には、「ヘビノネゴザ」というシダ植物が多く自生しています。
この植物は、銅や鉛、亜鉛などの重金属を多く含む土地を好む性質があるそう。
何気ない光景に、かつて銅山だったという歴史の足跡がひっそりと刻まれていました。

近代の製錬所「花の山製錬所跡」へ
続いて訪れた「花の山製錬所跡(はなのやませいれんじょあと)」は、先ほどの大切製錬遺跡と時代が変わり、近代の製錬所跡です。
大正8年(1919年)まで操業していたこともあり、煙突や炉、トロッコが通っていた線路跡など、当時の面影が色濃く残っています。
ここではガイドさんから、“写真に写っているものを探せ”というちょっとしたミッションが用意されました。写真や地図を手がかりに、6ヶ所のポイントを探します。
写真の中には、先ほどガイドさんが言っていた「近代のカラミ」も…!
広々とした花の山製錬所跡は見通しが良く、あちこちに点在するポイントも迷わず見つけることができました。
煙突や炉の跡など、一つひとつの遺構が何を意味していたのかを知りながら巡ることができ、当時の様子がとてもよく分かります。
花の山製錬所跡の一角には、近代に長登銅山が稼働していた頃の暮らしぶりを伝えるタイル画も飾られていました。現在はのどかな風景が広がるこの場所も、かつては草競馬や相撲大会が開かれ、熱気で溢れていたようです。
タイルに描かれた画を通じて、当時の賑わいを垣間見ることができました。
長登銅山の安全と繁栄を願って建てられた「山神社」
最後に訪れた山神社(さんじんじゃ)は、長登銅山の安全と恵みに関わる信仰の場。

長登銅山で採れた銅でつくられた立派なつり鐘は、つくと山の中に心地よい音が。
お社だけの小さな神社ですが、「山神祭(さんじんまつり)」と呼ばれる、山の神様を祀り、1年の安全や事業の繁栄を祈る重要な神事は、今も地元の人々によって執り行われているそうです。
長登銅山跡を歩いて知る、Mine秋吉台ジオパークのもうひとつの歴史
約2時間かけて全ての行程を終え、スタート地点の「大仏ミュージアム」に戻ってきました。
地質や産業、歴史についての専門的な知識を持ち合わせていない私ですが、かつての面影をこの目で確かめ、ガイドさんの解説に耳を傾ける時間は、知的好奇心がくすぐられるワクワクの連続でした。
さらに今回の「古代近世コース」では、少し歩くだけで時代が異なる遺構に出会えるため、まるでいくつもの時代へタイムスリップしたような不思議な感覚も味わえます。
日本の鉱山と言えば、世界遺産に登録された石見銀山(島根県)や佐渡金山(新潟県)、足尾銅山(栃木)がメジャーですが、長登銅山のように知る人ぞ知るディープなスポットをガイドツアーで巡る魅力もまた格別です。
何気ない風景の裏にある歴史やストーリーを紐解いていく体験は、とても貴重で贅沢な時間となりました。
産業遺産に興味のある方はもちろん、ユネスコ世界ジオパークに認定された「Mine秋吉台ジオパーク」について理解を深めたい方にも、ぜひ体験してほしいおすすめのツアーです。
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ガイドツアー参加時の服装や持ち物は?
山道を歩く場面があるこのツアーでは、軽い山歩きを想定した服装がおすすめです。
虫対策のため長袖・長ズボン、虫よけ用のスプレーも用意しておくとよいでしょう。
靴は歩き慣れたスニーカーでも歩けましたが、登山靴やトレッキングシューズだとより安心。岩や斜面に手をつく場合もあるので、グローブや軍手の準備、カバンは両手が空くリュックサックがベストです。
水分補給のための飲み物も忘れず持参しましょう。

【番外編】ツアー後は「大仏ミュージアム」を鑑賞しよう
大仏ミュージアム前でガイドさんと解散した後は、ミュージアムの中を見学するのがおすすめです。(別途入場料が必要)
館内には採掘や製錬で使われていた道具、実際の鉱石などが展示されており、先ほど歩いた山道や遺構と重ねながら、改めてこの銅山の歴史を楽しめます。

例の、実物に出土された木簡の展示もありましたよ!
1,000年以上も前のものとは思えない、想像以上に綺麗な保存状態でした。皆さんもぜひ、ご自身の目で確かめてみてくださいね。

この地ではかつて、鉱石を粉末にして作る「岩絵の具」の生産も行われていたと、ガイドツアーの最中に教えていただきました。
銅鉱石から派生する緑青(ろくしょう)を原料とした長登産の絵の具は、鮮やかな緑や青の発色が特徴です。江戸時代には「滝の下」という銘柄で絵師の間で評判を呼び、特に高価な絵の具として珍重されていたそう。
この岩絵の具の生産は昭和25年(1950年)頃まで続き、当時の長登には商売で成功を収めた人々による「岩絵の具御殿」がズラリと立ち並ぶ通りもあったのだとか。
ミュージアムでは当時採れた緑青や、岩絵の具で描かれた掛け軸も鑑賞することができますよ。
銅の採掘・製錬とは違う長登のもうひとつの側面を知ることができる、とても興味深いエピソードでした。
Mine秋吉台ジオパーク「3つのジオツアー」で大地の歴史を辿ろう
Mine秋吉台ジオパークでは、今回ご紹介したコースのほかにも、地域の歴史や自然の成り立ちを楽しく学べるガイドツアーを開催しています。
・石灰石(白)コース:カルスト台地の恵みと現代の暮らしのつながりを学ぶ
・石炭(黒)コース:近代日本の産業を支えた大嶺炭田を巡る
・銅(赤)コース:奈良の大仏にも使われた古代の歴史ロマンを辿る
ガイドさんの解説を聞きながら巡ることで、普段の観光とは一味違う美祢の面白さに出会えます。
ぜひ気になるコースに参加して、大地の恵みと人々の歴史を体感してみてください。
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