美祢市│「黒」の石炭を産出した炭鉱跡とかつての炭鉱町を巡るジオツアーを体験│Mine秋吉台ジオパーク[PR]
大嶺炭田(おおみねたんでん)は、世界的にも珍しい無煙炭の産地。かつては海軍の軍艦を支える燃料として利用され、多くの人が炭鉱町で暮らしていました。
今回は、当時の炭鉱跡や住宅跡を巡るガイドツアーを体験。歩きながら見えてきたのは、石炭の歴史だけではありません。人々の暮らしの記憶、そして約2億年前から続く地球の営みでした。
※この記事の情報は2026年6月時点のものです。
- 阿武夏織

- 125pv
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はじめに│Mine秋吉台ジオパーク「3つのジオツアー」
Mine秋吉台ジオパークでは、かつて地域の産業を支え、現在もまちの発展を支える「地下資源」にスポットを当てた3つのジオツアーを開催しています。
・石灰岩(白)コース:カルスト台地と秋芳洞の成り立ちを知る
・石炭(黒)コース:近代日本の産業を支えた大嶺炭田(おおみねたんでん)を巡る
・銅(赤)コース:奈良の大仏に使われた銅の採掘場、長登銅山跡(ながのぼりどうざんあと)を辿る
ツアーでは、ガイドによる解説のもと、それぞれの資源について、成り立ちや産業との関わりを楽しく学ぶことができます。
今回はその中から、石炭にスポットを当てた大嶺炭田跡周辺のツアーを体験。「基本コース」と「欲張りコース」の2つがあるうち、約3時間でじっくり巡る「大嶺炭田の欲張りコース」のレポートをお届けします。
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Column
特集「Mine秋吉台ジオパークとは?白・黒・赤の大地と、世界が認めた地域の力」
山口県美祢市の「Mine秋吉台ジオパーク」が、2026年4月にユネスコ世界ジオパークに認定されました。秋吉台の絶景だけではありません。白い石灰岩、黒い無煙炭、赤い銅。3色の地質が語る地球の歴史と、それを守り続けてきた人々の活動が、世界に認められました。Mine秋吉台ジオパーク推進協議会への取材をもとに、ジオパークとは何か、認定の意義から見どころ・ジオツアーの楽しみ方まで、現地からお伝えします。
大嶺炭田とは?日本では珍しい無煙炭が採れた場所

今回めぐるのは、美祢市にある「大嶺炭田跡」周辺です。
大嶺炭田は、国内でも貴重な無煙炭の産地。無煙炭とは、石炭の中でも炭化が進んだもので、煙や臭いが出にくく、火力が強いのが特徴です。
大嶺炭田は、約2億年前の地球の営みの中で形成された古い炭田。
約2億年前と聞いても正直ピンときませんが、人類どころか恐竜が生きていた時代よりも前から続く地球の営みの中で生まれたものが、目の前にあると思うと不思議な気持ちになりました
煙が出にくい無煙炭は、敵に見つかりにくいことから、かつて軍艦の燃料としても重宝されたそうです。
ちなみに、「炭田」は石炭が埋まっているエリアのこと。「炭鉱」は実際に石炭を掘る施設や場所を指します。
まずは「美祢市歴史民俗資料館」で石炭と化石の世界を知る

ガイドツアーは、「美祢市歴史民俗資料館」からスタート。まずはここで予習してから炭鉱跡へ向かいます。

館内には、美祢で採掘された化石や大嶺炭田で使われていた道具、作業着などが展示されています
また、海軍炭鉱時代の道具や、かつて南大嶺駅と大嶺駅を結んでいた路線に関する資料なども展示されていました。
ガイドの木部さんによると、こうした展示を目当てに訪れる鉄道ファンや海軍ファンもいるとのこと。

この資料館は、炭鉱町だった美祢を知る入口のような場所。炭鉱について学びながら、この後めぐる場所への期待も高まります。

1階にはたくさんの化石がありました。
化石の多くは、県立大嶺高校の先生だった岡藤五郎さんが採掘したもの。
教鞭を取りながら化石を掘り、学校内には化石展示室も設けていたそうです。
資料館の裏手には、かつて炭鉱で使われていた炭車や、豊浦斜坑の坑口に掲げられていたキーストーンも残されていました。

ガイドさんに案内していただいたからこそ気づけた展示もあり、説明を聞くことで、何気なく置かれているものの見え方が変わりました。
海軍が美祢にやってきた!「海軍キーストーンモニュメント」

美祢市歴史民俗資料館を後にし、木部さんの車について移動。

静かな風景の中に、ひときわ目を引くM字型のモニュメントがあります。

これは、かつて桃ノ木坑の坑口中央に掲げられていた海軍のキーストーンです。
桜とイカリのマークがかっこいいですが、「こんな山あいの町に海軍 」と少し不思議な気持ちに。

実は、この場所にはかつて大嶺駅がありました。

煙の出ない無煙炭を軍艦の燃料とするため、海軍は石炭を効率よく運ぶための鉄道整備を進めたそうです。
川も多く、本来なら3年ほどかかる工事だったそうですが、それをわずか1年で完成させたとのこと。
今のような重機も十分ではない時代に、どうやって工事を進めたのかと思うと驚かされました
当時暮らしていた方々の記憶をもとにガイドさんが再現した町の地図
今では想像できないほど多くの店が並んでいたそうですが、特に目についたのがおもちゃ屋さん。
話を聞いた方々は当時子どもだったこともあり、「おもちゃ屋さんがここにあった」という記憶は今も鮮明に残っているそうです

また、当時はドイツ製の最新鋭の鉄索も整備されていたといいます。
話を聞いたときは「それが効率良いよね!」と思いましたが、よく考えれば当時の人たちにとってはかなり先進的な設備だったはず
種田山頭火もこの風景を見て「炭車が空を 山のみどりからみどりへ」と句を残しています。
山頭火というともっと昔の人というイメージがあったため、彼が生きた時代にはすでに炭鉱が日常として栄えていたのだと知り、歴史の意外な重なりにハッとさせられました。
坑道の入口が残る「荒川水平坑跡」
普段は鍵がかかっていて入れません
ガイドツアーに参加すると、荒川水平坑跡の坑道に入ることができます✨

坑道の内部はレンガづくり。海軍によって西洋式に整備されたもので、今見てもどこかおしゃれな雰囲気があります。
当時の日本的な暮らしの中ではかなりハイカラだったそうで、海軍の軍人や家族の身なりも地元の人たちには衝撃だったそう。

この日は暑い日でしたが、坑道の中はエアコンが効いているかのような涼しさ
「炭鉱って大変だけど、涼しいなら少しは良かったのかな」と思ったのですが、それは大きな勘違いでした。
実際に採掘していた場所はさらに地下深く。
地中へ100メートル下がるごとに2〜3℃温度が上がるため、坑内はかなり暑かったそうです

さらに、炭鉱での仕事は給料が良かったそうですが、その分、落盤などの危険とも常に隣り合わせ。 炭鉱夫にとって「ご安全に」は、挨拶だったんだとか。
子どもがお弁当をひっくり返しただけで不吉な縁起と捉え、 「今日は仕事に行かない」と言い出すこともあったそうです
こうした話からも、命がけの仕事だったことが伝わってきました。
炭鉱町の暮らしを想像する「山陽無煙白岩住宅跡」

次は、山陽無煙白岩住宅跡へ。現在、この場所にはソーラーパネルが広がっています。

かつてここには炭鉱で働く人たちの社宅が並び、お店や映画館などの娯楽施設もありました。
今では当時の面影はほとんどありませんが、規則正しく並ぶソーラーパネルを見ていると、かつて長屋が立ち並んでいた風景を少し想像することができました

また、ここには捕虜収容所「白岩親和寮」があったことを示す石碑も残されています。
捕虜収容所「白岩親和寮」
戦争が進むにつれて働き手が不足していた炭坑では、捕虜になったイギリス兵やアメリカ兵が収容され、労働に従事していました。
県内にも戦争の歴史を伝える場所がいくつもありますが、こんな山あいの場所にもその歴史が残っていることに驚きました。
私は留学や仕事で海外に住んだ経験がありますが、自分の意思で訪れた場所でさえ、言葉や文化、生活習慣の違いに戸惑うことは少なくありませんでした。
そう考えると、戦時中に遠く離れたこの地へ連れてこられた人たちが見た景色や感じたことは、簡単に想像できるものではありません。

木部さんも、この場所は見ておいてほしい場所だと話されていました。
炭鉱の歴史を知るだけでは見えてこない出来事が、この場所には残っています。
露天掘りのスケールを感じる「桃ノ木露天掘り跡」
排水管が露天掘りをしていた場所であることの名残
坑道で石炭が採れにくくなると、今度は上から掘る「露天掘り」が行われるようになりました。

露天掘り跡へは山道を歩いて向かいます。

「もうすぐ着くかな」と思ったところで、木部さんから「今で3分の1くらいです」と言われ、少し心が折れそうになりました

現在は地元の方々によって歩けるよう整備されていますが、歩きやすく汚れてもいい靴がおすすめです

歩いていると、あちこちに黒い石のようなものが落ちています

最初は石炭と普通の石の違いが全く分かりませんでしたが、見ているうちに、水に濡れたような艶があり、キラキラと光る石炭を見分けられるようになってきました✨

しばらく進むと大きな谷が現れます。
最初は自然にできた地形だと思ったのですが、この谷は露天掘りによって人の手で掘られたものだそう。
高さ約30メートル、幅約170メートル。
目の前に立つと、その大きさに圧倒されます。これほどの規模の場所を人の手で掘り進めたと思うと、当時の採掘のスケールの大きさを実感しました
谷の下へ降りると、岩肌には地層がはっきりと見えます。

地殻変動によって傾いた地層は、この場所が長い地球の歴史の中でつくられたことを教えてくれます。
赤丸の辺りに石炭が見えます
そして、この場所でも多くの化石も見つかっています。その採掘に尽力したのが、資料館でも紹介されていた岡藤五郎さんです。
岡藤さんは「今掘らなければゴミになる」と考え、許可を得て作業のない時間に化石を採集していたそうです。
当時は誰かが研究してくれるかもしれないという思いで続けていた活動が、今では資料館の展示や、「ユネスコ世界ジオパーク」として認定されたMine秋吉台ジオパークにつながっています。
目の前の谷の大きさにも圧倒されましたが、それ以上に、一人の熱意が今も残り続けていることが印象に残りました。
炭鉱で働く人々の祈りが残る「豊浦山神社」

最後に訪れたのは「豊浦山神社」です✨

かつて全国各地の炭鉱町には、坑内作業の安全と繁栄を願って山神社が建てられていました。
豊浦山神社もその一つで、愛媛県今治市の大山祇神社からご神体を勧請して建立されたそうです

境内には、坑道貫通記念碑や戦死者、炭鉱で殉職した人々を慰霊する碑も残されています。

私は御朱印を集めて神社巡りをしていて、関西の神社では御朱印の筆耕もしているので、神社は比較的身近な存在です。

今では観光や御朱印巡りの目的地として注目される神社も増えています。
しかし、炭鉱町だった頃の豊浦山神社は、炭鉱で働く人たちやその家族にとって無事を祈る切実な場所だったのだと感じました
この地図も当時住んでいた方の記憶を元にガイドさんが作成されています
神社の鳥居の前に広がる美祢社会復帰促進センターの敷地全体が、かつて社宅が建ち並んでいた場所と教えていただきました。
道路を挟んだ先には商店街もあり、買い物はもちろん、飲食店や娯楽施設もそろっていたそう
その中で印象に残ったのが、「ある区画へ行くとピアノの音が聞こえた」という話でした♪
同じ社宅の中でも暮らしには違いがあり、その音を聞きながら子どもたちは育っていったのだそうです。
今はのどかな風景が広がっていますが、かつてここには多くの人が暮らし、それぞれの日常があったことを感じられる場所でした
大嶺炭田を歩いて知る、美祢のもう一つの魅力
電気がつくことも、ガスが使えることも、今の私たちにとっては当たり前のことです。
けれど、かつて燃料はとても貴重なものでした。その燃料を人々が使えるようにするため、危険と隣り合わせの中で働いた人たちがいました。
そして、大嶺炭田が生まれたのは約2億年前
人類どころか恐竜が生きていた時代よりも前から続く地球の長い時間の中で生まれた石炭を、人が掘り、暮らしを支えるエネルギーとして利用してきました。
今回のツアーでは、炭鉱跡や神社、住宅跡を巡りながら、そこで働いた人たちや暮らした人たちの記憶や、地球の壮大さに触れることができました。
ツアーの最後に木部さんは、「ここで未来のエネルギーについても考えてみてほしい」と話されていました。
石炭の歴史を知ることは、過去を振り返るだけではありません。
これから私たちがどんなエネルギーを使い、どんな未来を選んでいくのかを考えるきっかけにもなるはずです✨
「ユネスコ世界ジオパーク」として認定されたMine秋吉台ジオパーク。
秋吉台や秋芳洞のイメージが強い美祢市ですが、その魅力はカルスト台地や鍾乳洞だけではありません。
ぜひ大嶺炭田跡周辺を歩きながら、世界的にも珍しい無煙炭が生まれた地の歴史と、そこで暮らした人たちの記憶に触れてみてください
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ガイドツアー参加時の服装や持ち物は?
山道を歩く場面があるこのツアーでは、歩きやすく汚れてもいい靴がおすすめです
虫対策のため長袖・長ズボン、虫よけ用のスプレーも用意しておくとよいでしょう。
坑道の中は外気との差があるため、羽織りなど調整ができる服装だと安心です。
水分補給のための飲み物も忘れず持参しましょう。

Mine秋吉台ジオパーク「3つのジオツアー」で大地の歴史を辿ろう
Mine秋吉台ジオパークでは、今回ご紹介したコースのほかにも、地域の歴史や自然の成り立ちを楽しく学べるガイドツアーを開催しています。
・石灰石(白)コース:カルスト台地の恵みと現代の暮らしのつながりを学ぶ
・石炭(黒)コース:近代日本の産業を支えた大嶺炭田を巡る
・銅(赤)コース:奈良の大仏にも使われた古代の歴史ロマンを辿る
ガイドさんの解説を聞きながら巡ることで、普段の観光とは一味違う美祢の面白さに出会えます。
ぜひ気になるコースに参加して、大地の恵みと人々の歴史を体感してみてください。
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