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来嶋又兵衛像

【全体概要】現在の厚保小学校のプールの場所に来嶋又兵衛の家がありました。彼の妻は、厚保村(美祢市西厚保町本郷)の酒造家で永代大庄屋格来嶋清三郎の長女のタケです。結婚1年後には、妻の実家である来嶋清三郎宅横に家を新築して、ここに転居してきました。 元…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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来嶋又兵衛像

小川家長屋門

【全体概要】小川家はもと町奉行の一人で500石を領した中級武士。安政の初期, またはそれ以前の建築といわれ、扉の金具、出格子の細部など優れたもので、当時の武士の生活様式を知ることができます。

  • 萩・長門エリア
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小川家長屋門

伊藤博文別邸

伊藤博文が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた建物の一部を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したものです。

  • 萩・長門エリア
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伊藤博文別邸

長州萩藩蔵屋敷跡

この辺りはかつての江戸堀の一角で、江戸時代には諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいた。ここには広大な長州萩藩の蔵屋敷があった。

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長州萩藩蔵屋敷跡

村田清風記念館・三隅山荘

幕末の激動する政治情勢の中にあって、藩政改革の中心人物として手腕を揮い、明治維新の基礎を築いた村田清風と周布政之助の足跡や功績を、遺品や資料を通して紹介しています。記念館に隣接した「三隅山荘」は、村田清風の旧宅で、清風が誕生して19歳までと、63歳で隠…

  • 萩・長門エリア
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村田清風記念館・三隅山荘

前原一誠旧宅跡

【全体概要】明治9年10月26日に起きた萩の乱の中心人物、前原一誠の旧宅跡が山陽小野田市旦西の台地、登り窯の近くにあります。2度にわたる改築で家の様相は変わっていますが、当時からの古井戸、屋敷神、カキの古木など、往時の面影を感じることができるものと…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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前原一誠旧宅跡

五卿の宿 肥後屋跡

文久3年(1863年)8月18日に起きた京都の政変で、京都を追われ長州に下った7人の公卿の内、三卿(五卿説もあり)がその途中、8月25日にこの肥後屋に宿泊した。翌、元治元年(1864年)7月、五卿(三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿の宿 肥後屋跡

旧湯川家屋敷

藍場川沿いにある情緒あふれる武家屋敷

藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷で、川沿いに長屋門があり、屋敷の中には橋を渡って入ります。主屋には玄関、座敷と茶室などがあり、特に茶室回りの意匠が優れています。また、川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池泉庭園を造り、池から出た水を家の中に作られた…

  • 萩・長門エリア
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旧湯川家屋敷

広沢真臣の旧宅跡

広沢真臣は萩の城下町で生まれ、藩庁が山口に移された際、現在の山水園の裏あたりに住みました。旧宅跡を示す石碑が残されています。

  • 山口・防府エリア
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広沢真臣の旧宅跡

品川弥二郎旧宅跡

【全体概要】松陰に学び、尊皇攘夷の志士として周旋。維新以後、内務大臣などを歴任しました。

  • 萩・長門エリア
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品川弥二郎旧宅跡

富永有隣の旧宅跡地

冨永有隣は、松下村塾の教師として明治の元勲達を教育した人物です。「馬関戦争」「四境戦争」では軍功を立てましたが、国事犯として石川島獄に投ぜられ、大赦によって富永家の移居していた瓜迫に帰り、著述のかたわら近在の青年に道を説き書を講じました。独歩の小説…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の旧宅跡地

長井雅楽旧宅跡

【全体概要】公武一体航海遠略策をもって藩命を受け公武の間を周旋し、のち失脚して切腹しました。

  • 萩・長門エリア
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長井雅楽旧宅跡

田中義一別邸

明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに住み、大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われ、現在の建物となりました。邸内には肖像画をはじめ大将服などが義一ゆかりの物があり、一般公開されています。隣接して“かんきつ公園”…

  • 萩・長門エリア
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田中義一別邸

早川家住宅

長門の通浦は日本海岸にある青海島の漁港で、江戸時代には捕鯨が盛んでした。早川家はこの地の網頭をつとめた家柄で、住宅は海岸線に沿ったせまい道路に東面して建ち、背後は浜に続いています。この屋敷地は、もと廻船業を営んでいた黒川氏のもので、後に早川氏が買い…

  • 萩・長門エリア
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早川家住宅

青木周弼旧宅

【全体概要】幕末の長州藩医・青木周弼の住んでいた屋敷。医師としてだけでは無く、蘭学医としても全国でも屈指の人物。季節ごとに萩にちなんだ展示が行われる。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。

  • 萩・長門エリア
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青木周弼旧宅

大村益次郎寓居跡

【全体概要】大村益次郎は倉屋敷作衛門の座敷に住みながら適塾で医学を学んだ。

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大村益次郎寓居跡

旧市長公舎

和と洋が融合した大正時代の建築物

大正15年に海軍燃料廠の廠長官舎として建てられ、昭和20年の終戦を迎えるまで歴代の廠長が住まわれていました。二度にわたる徳山大空襲を免れたこの木造住宅は、戦後、徳山市が払下げを受け、平成23年まで市長公舎として使用してきました。旧市長公舎は、洋館部分と和…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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旧市長公舎

楫取素彦旧宅地

楫取素彦は1829年(文政12)、萩藩医松島瑞璠の次男として萩に生まれ、初め伊之助と称した。兄に洋学者の松島剛蔵がおり、12 歳の時に萩藩の儒者小田村吉平の養子となった。藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹寿と結婚して、松下村塾でも指導にあたった。四境戦争…

  • 萩・長門エリア
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楫取素彦旧宅地

旧周布家長屋門

【全体概要】旧三の丸の北の総門筋にあり、萩城跡の指定地域に含まれています。萩藩大組で1,530石を領した周布治部家の長屋門で市指定文化財。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。

  • 萩・長門エリア
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旧周布家長屋門

旧福原家萩屋敷門

萩藩の永代家老で、宇部に1万1,314石を領した福原家の萩屋敷門。江戸時代中期の建立で家老の格式にふさわしい規模です。

  • 萩・長門エリア
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旧福原家萩屋敷門