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引地君の墓

引地は、九州豊後の大友宗麟の七女でキリシタン名をマゼンシャといいました。墓は2m以上もあり、五輪塔の形式をとっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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引地君の墓

南岳墓地

【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)における防長殉難者48士の墓碑が並ぶ。

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南岳墓地

錦小路頼徳の墓と碑

七郷落ちの一人であった錦小路は、下関の砲台を巡視中に亡くなったためこの地に手厚く葬られました。

  • 山口・防府エリア
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錦小路頼徳の墓と碑

青山霊園

【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。

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青山霊園

十二代豊田種長追善供養板碑

一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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十二代豊田種長追善供養板碑

井上馨墓

井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…

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井上馨墓