岩国の夏の風物詩「錦帯橋のう飼」~夏休み、錦帯橋に行くなら鵜飼じゃろぅ~

~ 鵜飼って何⁉ 錦帯橋から行ってみるかというあなたにコッソリ教えます ~

う飼の最盛期となる8月、連日沢山のお客様で賑わっています。
陽も落ち涼しくなった屋形船から鵜飼をご覧頂くと、篝火の幻想的な美しさと鵜たちの一所懸命に泳ぎ、鮎を捕獲する姿にお客様は皆様感動されます。
今回の記事では、船頭さん・伝説の元鵜匠・飼育員さんにも話を伺い、錦帯橋のう飼について深掘りしていきます。
バックグランドも知るとよりう飼を楽しめるはず!
是非一度「錦帯橋のう飼」をご体験いただきたいと思います。そして、全国12箇所の鵜飼巡りのスタートになれば幸いです。
花咲爺
花咲爺
85pv
岩国の夏の風物詩「錦帯橋のう飼」~夏休み、錦帯橋に行くなら鵜飼じゃろぅ~

鵜飼(うかい)とは?


鵜飼は海鵜(うみう)を川に潜らせ鮎などを捕獲する伝統的な漁法で、鵜匠が鵜を操り鵜が捕らえた魚を吐き出し漁獲する、夏の風物詩の一つです。

鵜の魅力は何といってもコバルトブルーの美しい眼!また水鳥の水かきは一般的に2枚なのに対し、鵜は3枚あるのが特徴で、潜るのに好都合です。


日本の鵜飼の歴史は古く、日本最古の歴史書「古事記」(712年)にも記載があります。

鵜飼運営組織の見解では、鵜飼いの起源は太平洋側から鵜飼文化の継承があったという説と、シルクロード経由で中国から渡ってきたという説があります。

鵜飼は中国で1 ~2世紀に見つかっており7世紀の隋書にも載っているものの、10世紀頃ではないかとの意見もあり歴史的根拠が明らかになっていません。

ちなみに中国の鵜飼は川鵜を使う「放ち鵜飼」が一般的です。


現在の日本の鵜飼は、錦帯橋を含めて全国11箇所で行われています。

錦帯橋の鵜飼の期間と鵜飼の醍醐味


「錦帯橋のう飼」は6/1 ~9/10迄の3ヶ月と短い期間での開催です。

鵜飼遊覧は、19時~19時50分が遊覧で、トイレ休憩を挟んで20時~21時が鵜飼というスケジュールです。


岩国城を仰ぐ錦城橋を挟み、上流で「上鵜飼(かみうかい)」を、下流で「下鵜飼(しもうかい)」をします。

どちらも停泊した屋形船の周囲を「鵜舟(うぶね)」が回るスタイルで、「からみ巻き」と呼ばれています。鵜舟が回遊しながら近くを巡るので、すぐ近くで鵜飼をご覧頂くことができ迫力を感じていただけます。

鵜舟一艘に前から

· 鵜匠(うしょう):前方に立ち、鵜を操る人

· 中乗り(なかのり):舟の中央で漕ぎ手

· 艫乗り(とものり):後方の漕ぎ手

の3人が乗船します。

鵜匠は6羽の鵜を手縄を使い鮎の捕獲を助ける「手縄捌き」の役割を担っており、ここが一番の見所。

鵜の泳ぎに合わせて捕獲し易いように鵜舟を漕ぐのが中乗りと艫乗りの役割です。

鵜匠が高い位置に立っていると手縄が短くなり鵜の行動範囲が狭くなるので、鵜匠の立ち位置も観察ポイントです。

手縄を扇形に広げリーダーの鵜を潜らせそこにさらに他の鵜を導きます。手縄を捌く「シャーシャー」という音が聞こえたら本物の「手縄捌き」と言えます。


鵜は瞼とは別に瞬膜という水中眼鏡のような役割を持つ膜があり、これが眼球を保護するため水中の視界も良いと言われます。水中の速い泳ぎも見どころです。



最後に鵜飼最高の儀式「総からみ」で錦帯橋とお客様に敬意を表します。

「総からみ」は船の縁を叩き、鮎を浅瀬に追い込むという漁法としての一面もあったようです。鵜飼を終えると鵜を鵜舟に引き上げ年功序列で整列させて篝火の残り火の下で休ませて手縄をほどく「鵜仕舞い」をご覧になれます。

「錦帯橋のう飼」の歴史


錦帯橋の鵜飼は一度途絶えましたが、戦後、キジヤ台風で錦帯橋が流され再建する際に鵜飼の復興活動もあり、昭和27年に復活し、翌年に錦帯橋も再建されました。

昔の道具は残っていませんが、錦帯橋が残っているのが岩国の強み。

三次や犬山、大洲など鵜飼の歴史に地名はあっても具体的な鵜飼の場所の特定は難しくなっていますが、岩国は吉川広嘉公が錦帯橋から鵜飼の様子を見下ろしていたという記録が残っており当時と同じ景色が見れる強みがあります。


昔から行われていた鵜飼ですが錦川両岸の堤防決壊の大洪水が4回もあったため、寛永以前の記録はありません。寛永15年に萩城当主毛利秀就(ひでなり) から吉川広嘉に鵜を借りたいとの書状が届いたものの、鵜匠が病気なので鵜を送らない返信も残っていることが約400年の歴史の証拠です。

鵜飼は錦帯橋よりもその歴史が古く、一時中断したものの戦後に鵜飼宗家が復活し、錦川鵜飼振興会が引き継ぎ、現在は岩国市観光協会鵜飼事務所が6/1 ~9/10迄の期間開催することで現代まで歴史を紡いでいます。

船頭さんに聞いた!鵜飼の繋がりと道具

鵜飼事務所で船頭もされている蔵田真季さんに、鵜飼と、鵜匠と鵜を繋ぐ手縄(たなわ) の地域による違いと全国の鵜飼の状況を教えて頂きました。



小瀬鵜飼が宇治と嵐山を教え、錦帯橋は岐阜長良川と小瀬鵜飼から教えを乞うているのでこの5つの地域手縄の仕掛けが似ています。

三隈川・筑後川・大洲・三次は何処が教えたかは不明ですが三次は途絶えてないので仕掛けは変わっていません。

犬山だけが麻のようなものを巻きつけています。

手縄コレクションは石和と長良川の手縄が揃えば一通り全国の手縄が揃います。

手縄には各地域のノウハウが込められているんですね。



350年前の岩国で鵜飼があったことは事実ですが、道具の記録はありません。

鵜飼は篝火の明かりに驚いて逃げる鮎を海鵜が見つけ捕獲する伝統漁法です。

<道具>

・篝火:現代ではLEDを使う所もありますが、錦帯橋では油分の多いアカマツの薪を使っています。(昔はアカマツの根っこを使っていた)

・風折烏帽子:鵜匠が身に着けます。篝火の火の粉で皮膚や髪の毛、眉毛が燃えるのを防ぐ役目があります。

・腰蓑:鵜を引き上げた時に漁服が濡れてしまうのを防ぐ役目があり、米藁で作られています。

・足半(あしなか) :今はなくなった鵜匠の履物。わらじの半分程度で踵がないところが特徴的。踏ん張りが利き、滑りにくく、河原を歩く時も砂利が入りにくいが、今は魚サン(漁業関係者サンダル) に代わりました。

鵜飼を観察できる施設「吉香鵜の里」


「錦帯橋のう飼」で活躍する鵜を飼育する施設「吉香 鵜の里」は平成29年に他所に先駆けオープンしました。

このような施設は珍しく鵜が2チームに分けられ飼育されている様子を見ることができます。

鵜飼は夜ですが昼間の鵜の様子を見ることが出来ます。飼育は鵜匠宅で行うことが一般的であるため、見に行けない所が多いので、観光地近くで見学できる岩国の施設は貴重です。

他の地域も飼育場を建設する際には見学に来られたそうです。是非鵜飼の前にご覧下さい。

伝説の元鵜匠さんへ聞いた!鵜飼の話


鵜飼の話を聞くために元鵜匠の村中秀明さん(92歳) をお尋ねしました。

24歳から鵜匠歴60年間を含み70年以上鵜と接していらっしゃいます。10年以上前に現役を退かれた今も、1年365日毎朝鵜舎の28羽(昔は45羽) の鵜の世話をされています。


昔の鵜舎は消毒が十分ではなく、毎年2~3羽亡くなり紅葉谷公園の「鵜の塚」には活躍した何十羽もの鵜が葬られていますが、現在は亡くなる鵜も少なく補充もなくなりました。

鵜の世話で難しい点は体調管理や餌の栄養管理とのこと。

鵜に羽虫が付いていないか素手で喉を触りながら健康な体温かどうかを確認し、朝9時に餌を与えています。(鵜飼に出番の鵜達は鵜飼終了後)


「餌は主にホッケと鯵。ホッケは油分が少ないので羽がベタベタせず、潜るのに都合が良い。ホッケは北海道の決まった調達先から送って貰っているが、一時期漁獲量が減った時は、地元の3漁業組合にお願いして鯛や鯵、鰯等でしのいでいたこともある。

鰯は油分が多く羽がベタベタして3日与えると泳ぎが鈍くなる。70年の経験からホッケが健康維持に一番適している」

と鵜のエサについて仰られておりました。

鵜の平均寿命は普通10年程度ですが管理次第で20年近く生きている鵜もいます。鵜を見ただけで何番の鵜か分からないと鵜匠にはなれない、顔・毛並み・尻尾で見分け鵜と一本の手縄で結ばれ一心同体なんだとか。



今の鵜匠の仕事は鵜飼の実演中心ですが、昔は檜の皮で手縄(たなわ) を編んだそうです。

二尋半(ふたひろはん: 一尋は150cm)の手縄は一晩で一本しか編めず、鵜飼開催10日前くらいから編む準備が必要でしたが、10年以上前から全てナイロンに変わり随分楽になったそうです。

首結いにも色々な結い方があり男結びと女結びの違いがあり、解けない女結びにする必要があるそうです。

手縄の首結いは普通は指一本が入る緩さ、体調が良くない場合は指2本が入る緩さ、あまり言う事を聞かない鵜には少しきつめ、と鵜の状態で調整します。

首結い加減で漁の成果が変わるので鵜匠の大切な技術の一つです。


手縄は鵜の首に巻く首結いと鯨の髭で作った「クジラ: ツモソとも言う」と鵜匠が握っている縄の3つをまとめて手縄と呼んでいます。

クジラは縄が鵜の羽に巻き付くことを防ぐ突っ張り棒のような役目を果たしています。



鵜のぬいぐるみ「叶鵜(かなう)」に「手縄(たなわ)」を付けて頂きました。

今回の記事の思い出として玄関に飾っておこうと思います。


鵜匠は以前は6~7人いたそうですが、現在は3名に減り鵜舟2~3艘で行うそう。

鵜飼では鵜匠の手元の「手縄捌き」をよく見て鵜の行動範囲が広いか、鵜の動きに合わせ鵜匠から手の合図で船頭に伝えた船の動きになっているかという点をよく見て欲しいとのこと。

「鵜の眼鷹の眼」という言葉通り鵜の視力はよいとか。


鵜は先輩の鵜から学んでゆき、鵜匠も鵜の潜る方向から教えられます。

鵜匠になれる資質を尋ねたら我が子と同じように接すること、飼育員も掃除だけでなく同じ姿勢が必要だと仰っていました。

朝9時過ぎに「吉香 鵜の里」を訪ねられたら、きっと村中さんにお会いすることができるかもしれませんので是非訪れてお話しを伺ってみてはいかがでしょうか。

飼育員さんに聞いた!う飼の飼育について


飼育員歴2年半の前川久美子さんと10年のベテラン保木孝子さんお2人にお話をお聞きしました。

保木さんは一時期片道80kmを2時間かけて通勤していた時期もあったらしいですが、懐かなかった鵜が心を開いて逃げなくなったり、手に乗ってくれるようになるので続けられたそう。  


鵜舎ができるまでは衛生状態が悪く、カビが原因のアレルギー性の病や足裏の魚の目のようなしこりから感染する病によって亡くなる鵜が10羽以上もいたそうですが、新しい鵜舎ができた今は無くなったとか。

朝、夜間部屋から展示部屋に移し夜間部屋の清掃を行い、15時半になると夜間部屋に移し展示部屋の清掃を行います。

清掃が全ての基本ですが、動物は病気を隠す習性がありるため、普段との微々たる違いを見極めるのが体調管理で一番難しいそうです。

鵜が大好きで最初は1羽1羽見分けられるようになっても、毎年羽が生え替わると色合いや雰囲気が変わり、中には分からない鵜も出てくるのだそう。

見た目だけでは確実に見極められなくなるそうですが、足輪が付いており特定は可能なんだとか。動物に噛まれてもコミュニケーションだと思っているので、噛まれても大丈夫だとも話されていました。


【鵜飼の飼育について】

鵜飼があるグループは鵜飼が終わるまで食事はお預け。鵜飼をしないグループは9時になると2羽づつ鵜籠に入れ、順番に鵜籠から村中さんが素手で鵜を取り出しながら喉元の体温を測りながら餌(ホッケ3~4匹/ 羽)を与えます。怪我をしている鵜には飼育員が塗り薬を塗布します。

全ての鵜の食事が終わりプール部屋に戻すとほぼプールで水浴びをするそうです。

「鵜飼で一所懸命泳いでいる鵜も鵜舎にいる時は大人しい所も見て欲しい」と話されていました。


思い出のある鵜は「山陰」という名前の川鵜で、慣れない飼育員には口を開けてくれないので「山陰」の洗礼を受けることになっていたんだそう。

観光客の方の中には「動物虐待、可哀想、汚い」等と話している方もいらっしゃいますが、伝統漁法であり手厚く飼育していることを理解して欲しいと仰っていました。

吉香 鵜の里」を訪ねられたら飼育員さんの姿を拝めるかも知れません。

「錦帯橋のう飼」の現状と課題


全国的に鵜の高齢化が問題になっています。鵜は鳥獣保護法で保護鳥なので放鳥も出来ず、亡くなるまで飼育しないといけませんが、医療の発展で鵜の寿命も30年生きる鵜もおり鵜飼引退後も長期間飼育する必要があります。「錦帯橋のう飼」も例外ではありません。

宮内庁式部職鵜匠という立場で行っている所もある一方で、錦帯橋の鵜匠は仕事を抱えながら鵜匠の仕事をしています。鵜飼時期が短いことや天候に左右される仕事であるためだと思われます。

広く鵜匠を募集して飼育員から鵜匠への道を開くなど、現役の鵜匠が鵜と共に生活する時間を増やすような仕組み作りがあるといいのかなと感じました。

皆様と共にずっと応援していきましょう。

全国の鵜飼をご紹介!【12ヶ所】


日本で行われる鵜飼には3種類あります。

・船に鵜匠が乗り鵜を手縄で操る「船鵜飼」

・鵜匠が直接川に入り川を歩きながら鵜を手縄で操る「徒歩鵜飼」

・鵜の首に手縄を括らず川へ自由に散ち魚を取る「放ち鵜飼」

鵜飼に使う鵜は茨城県日立市で海鵜捕獲技術者が捕獲した海鵜です。川鵜より一回り大きく性格も従順なので鵜飼に向いています。


全国鵜飼サミットは1994年に岐阜市で始まり、以下の鵜飼開催地と海鵜捕獲地(茨城県日立市) が持ち回りで2年毎に大きいイベントに合わせて開催されています。


【山梨県笛吹市石和笛吹川】 鵜匠が川に入り鵜を操る「徒歩鵜」が特徴、近年「鵜匠体験」も実施

【岐阜県岐阜市長良川】 三大鵜飼の一つ、1300年以上の歴史、平成27年国の重要無形民族文化財に指定、鵜匠の職名は宮内庁式部職鵜匠

【岐阜県関市小瀬長良川】 1000年以上の歴史、岐阜市とともに国の重要無形民族文化財に指定、「世界の持続可能な観光地100選」に長良川流域が選出

【愛知県犬山市木曽川】 一時途絶えた鵜飼を再興、「犬山鵜飼」から「木曽川うかい」に改めた、「昼うかい」を全国に先駆けて実施

【京都府京都市大堰川嵐山】 在原業平が詠んだ「大堰川~」の歌にもあるように平安時代には既に行われていた

【京都府宇治市宇治川】 平安時代の「蜻蛉日記」にも鵜飼見物が記載、一時廃れたが復活、女性鵜匠の活躍も、海鵜の人工ふか化に成功し「放ち鵜飼」も春と秋に実施

【和歌山県有田市有田川】 休止中

【広島県三次市馬洗川】 尼子氏の落武者が始めた「徒鵜」が始まり、手縄が6.75mと全国で最も長い

【愛媛県大洲市肘川】 三大鵜飼の一つ、鵜舟と屋形船を併走する「合わせ鵜飼」が特徴

【福岡県朝倉市筑後川】 7世紀の中国の「隋書倭国伝」に九州北部の鵜飼の記述あり、鵜匠は船に座り漁を行うため腰蓑は付けず電灯で川面を照らすのが特徴

【大分県日田市三隈川】 三大鵜飼の一つ、豊臣秀吉が直轄地とした際長良川の鵜匠4名を連れてきたことに始まる招いたことに始まる

【山口県岩国市錦帯橋】 「錦帯橋のう飼」と唯一建造物の名前が付いた鵜飼、400年前に錦帯橋を創建した岩国藩主吉川広嘉公の時代に始まる


各地の鵜飼には各地の鵜飼の良さがあり、手縄捌きで長い手縄を扱う鵜匠がいる所、鵜をアイドル化したり鵜匠を囲んで話せる所、推しの鵜匠がいる所、船頭が重機の資格を持っている所、鵜匠のマイクで各船で話が聴ける所などそれぞれの鵜飼の良さがあるので「錦帯橋のう飼」を手始めにしてそれぞれの違いを楽しみましょう。

ご予約・アクセス・お食事など

松尾芭蕉も「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」と詠んでいます。

あなたもこの夏休みに錦帯橋の鵜飼の風情を体感しては如何でしょうか。

おいでませ「錦帯橋のう飼」へ


以下の岩国観光協会鵜飼事務所のホームページをご覧ください。

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この記事を書いた人

花咲爺

山口県生まれ、現在は千葉県と山口県を毎月往復しながら観光ガイドボランティアと屋形船船頭の仕事をしています。

学生時代と在職中を含め国内と海外合わせて30ヶ所弱の拠点で生活してきましたので改めて山口県の良さを再認識してアピール出来るかと思っています。

山口県の生活拠点は岩国ですが、今年は初代岩国領主の吉川広家公の没後400年の記念すべき年です。また来年はJRのDestination Campaign もあるので積極的に情報発信をしていきたいと考えています。

お若い方々の中での古希を迎えたシニアですが60〜70代は社会貢献と奉仕と決めて取り組んでおります、どうぞ宜しくお願い致します!

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